「日本の出生率の話はもうやめよう」を読んで

あるベンチャーキャピタリストが書いた「日本の出生率の話はもうやめよう」という文章を読んだ。主張の骨子は、出生率低下は30年以上前から指摘されており既に手遅れであること、出生率が改善しても人口減少は避けられないこと、したがって「少子化対策」ではなく「人口減少社会でどう生きるか」を議論すべき、というものである。

一読して感じたのは、これは「諦め」ではなく「楽観的な現状肯定」ではないかということだ。

長期的課題こそ早期に取り組むべき

元の文章では「出生率向上策は長期的な効果しかなく、目前の問題解決にはならない」と述べられている。しかし、これは逆ではないか。効果が出るまで時間がかかるからこそ、今すぐ着手すべきなのである。

30年放置してきたことの反省が、「もう手遅れだからやめよう」ではなく「これ以上遅らせてはいけない」であるべきだ。長期的課題を「目前の問題ではない」として先送りし続けた結果が、今の状況なのではないか。

「持ちこたえている」ことの危うさ

文章では、日本が比較的「持ちこたえている」という認識が示されている。確かに2024年の就業者数は増加したようだが、これは本当に構造的な改善なのだろうか。

【要調査】2024年の就業者数増加の背景

  • 円安による製造業の国内回帰?
  • インバウンド需要の影響?
  • 高齢者・女性の労働参加率上昇?
  • 一時的な現象か、持続可能な変化か?

「今はなんとかなっている」という現状維持バイアスこそ危険である。出生率は遅効性の指標であり、今の数字が20-30年後の社会を決定づける。構造的問題を放置すれば、崩壊は突然やってくる。

高齢者就労は本当に「解決策」なのか

元の文章では「女性や高齢者の労働参加促進」が解決策の一つとして挙げられている。しかし、これには大きな疑問がある。

まず、私自身の実感として、長生きしてまで働きたくない。たとえ健康であっても、である。「働ける高齢者は働くべき」という規範的な議論と、「働かざるを得ない社会構造」は区別されるべきだ。

また、高齢者が働いているという事実と、それが望ましいかどうかは別問題である。高齢者の雇用が若年層の雇用を圧迫している可能性もある。世代間での労働市場の競合という視点も必要だろう。

【要調査】高齢者就労の実態

  • 「働きたいから働く」vs「働かないと生活できないから働く」の割合
  • 高齢者雇用と若年層雇用の関係
  • 高齢者の労働参加率上昇が経済全体に与える影響

イノベーション待望論の危うさ

元の文章は「生産性向上とイノベーション」を重要な柱として挙げている。しかし、「日本発のイノベーション」というのは、あまりにも不確実性が高く、政策目標としては曖昧すぎるのではないか。

むしろ必要なのは発想の転換だろう。縮小する国内市場に固執するのではなく、既存の強みを活かして世界市場にものやコンテンツを売っていく戦略の方が、よほど現実的で確実性がある。

「面倒な問題」からの逃避

結局のところ、この文章は「出生率の議論をやめよう」と言いながら、実は「構造改革の議論もやめよう」と言っているのではないか。

出生率向上には、家族政策、ジェンダー規範、労働環境、教育コストなど、複雑で対立を生みやすい論点が絡む。「もう手遅れだから別の話をしよう」は、こうした面倒な議論を回避する言い訳にも見える。

イノベーションという不確実な解決策に賭けることで、社会保障改革や移民政策といった「政治的にコストの高い選択」を先送りしているだけではないのか。

まとめ

「日本の出生率の話はもうやめよう」という主張は、一見現実的に見えて、実は楽観的すぎる現状肯定であり、本質的な問題から目をそらしているように思える。

出生率の問題も、人口減少社会への対応も、どちらも必要な議論である。二者択一ではない。長期的課題だからこそ今すぐ取り組むべきであり、「持ちこたえている」という認識こそが危険なのだ。

もちろん、私自身の視点も限定的である。上記の【要調査】項目について、さらに調べて考えを深めていきたい。