執筆:FastGrow リブセンス『マッハバイト』インタビュー

誰もが自律的に動き出す、“個”が輝く組織のつくり方──リブセンス『マッハバイト』のV字回復に学ぶ、“脱・管理”時代におけるリーダーシップとは? | FastGrow

https://www.fastgrow.jp/articles/livesense-takahashi-tsuchida

インタビュー音源を元に執筆を担当しました。

自分もリーマンショックの後、勤めていた会社から雇い止めに遭ったので表現には気を使った(直されてはいる)。

取材・執筆:MIT Tech Review JP ピリカの小嶌不二夫さん

MIT Tech Review: 小嶌不二夫:世界を旅して「ごみ問題」を仕事にした起業家の思い

https://www.technologyreview.jp/s/332301/trajectory-of-u35-innovators-fujio-kojima/

インタビューと執筆を担当しました。

試しにSNSアプリ「ピリカ」をスマホにインストールして、ごみを拾って投稿してみたら、すごい勢いで反応があってびっくりした。これは続けたくなる。

執筆:FastGrow リブセンス村上社長インタビュー

一見“非合理”な決断こそ、組織の“らしさ”を築き上げる──最年少上場から12年、 リブセンス村上氏が“進化”の先にたどり着いた、組織変革の真髄 | FastGrow

https://www.fastgrow.jp/articles/livesense-murakami

取材には同席しましたが、インタビューは主に編集担当、私は執筆を担当しました。

が、結構直されてしまった。

取材・執筆:MIT Tech Review JP JX通信社の米重克洋さん

MIT Tech Review: 米重克洋:記者不在の通信社がテクノロジーで挑む、報道の構造問題

https://www.technologyreview.jp/s/330363/trajectory-of-u35-innovators-katsuhiro-yoneshige/

インタビューと執筆を担当しました。

生成AIによって爆増するデマやフェイクニュースに、ファクトチェックとかでなく正確なニュースの「量」で凌駕することで対抗しようというアイデアがとてもよいです。

死後も残るブログ

Twitterも永久に続くと思っていたわけではなかったはずなのだが、16年も使っていると「続く」と思ってしまっていたみたい。でも2023年はTwitterからXに変わってそろそろ危ういなと思い、ライフログとしてのSNSをMastodonに乗り換えることにした。“お一人様”も含めていくつかのサーバーを試してみたんだけど、結局どれもいつかは消えるかもしれないよなーと思い、自分が死んだ後もできるだけ長く残るサーバーのスペースを探していた。

それで見つけた(正確には思い出した)のが、このサイトのプラットフォームでもある「Posthaven」だった。

月5ドルを1年間払い続けると、アーカイブモードに移行することができて、更新はできないがコンテンツは残り続ける。もちろん月の利用料を払い続けるうちは更新可能。

Posthavenの「Our pledge(私たちの誓い)」のページには

We'll never get acquired. We'll never shut down. You pay, we keep the lights on.
私たちは買収されない。シャットダウンしない。あなたがお金を払えば、私たちは明かりを灯し続ける。

と書いてある。ブログの永代供養みたいなものだ。

ちなみにPosthavenを立ち上げたのはY CombinatorのCEOであるGarry TanとBrett Gibson。2人は2008年にSachin Agarwalとともに、やはり“永遠に続く”とうたうブログプラットフォーム「Posterous」を立ち上げたが、2012年にTwitterに買収され、翌2013年4月末をもってサービスを終了した。Posterousユーザー救済の意味からGarry Tanらが「次こそは」と始めたのがPosthavenというわけだ。

もちろん何らかの理由で“誓い”が破られるかもしれないが、少なくとも「そのつもり」の人たちに託した方がいい。そう思ってこのブログを立てた。いくつかテンプレートがあって今はそれを使っているが、CSSもいじれるようなので、いずれ試そうと思う。

自分が死んだらここが墓標になる。

『セクシー田中さん』の漫画家・芦原妃名子さんが亡くなったこと

気づくと2024年も1カ月経過した。何から書いていいか分からないが、とにかくいろんなものが過去に流れていきそうな中で何かを書き留めておかなくてはと思うことがあり。漫画家の芦原妃名子さんが亡くなった件だ。

1月26日14:31のタイムスタンプで、芦原さんが自身のブログに「ドラマ『セクシー田中さん』について」(インターネットアーカイブより)というエントリーを上げ、同じことをTwitterにもポストした。『セクシー田中さん』のドラマ化が決まった頃から制作過程でのミスコミュニケーション、ドラマの最後の2話の脚本を自身が書かざるを得なかったことなどを説明したものだ。

1月18日11:18に「テスト」とだけツイートしているが、その時点で何か書き込もうと準備していたのかもしれない。そうだとすると、それからの1週間ほどの間、時間をかけて発信する内容をまとめていたのかもしれない。ブログに書かれた文章を見ても周到さ、慎重さは伝わってきた。

そして1月28日13:11に、ドラマについて書いたブログのエントリーとツイートをを消して、代わりに最期のツイートを残している。

1月26日14:31〜1月28日13:11の2日間で死ぬことを決めてしまった。

自分は1月27日の朝にTLに流れてきた芦原さんのツイートを見かけ、引用RTしていた。

そして、死亡のニュースが流れたのは1月29日の夕方頃だっただろうか。自分が気づいたのは恐らく19時過ぎで、19:31にツイートしている。

最初にニュースを見た時は血の気が引く感じがした。2日前に引用RTしたこと、あれが何か作用したとは思わないが、よく分かりもしないで絡んだことは少し後悔した。

私はそれまで、『セクシー田中さん』という漫画の存在だけは知っていた。TLに流れてきた広告を何度か見かけた程度だが、タイトルも絵もインパクトがあったので覚えていた、という程度。作者の名前すら知らなかった。ドラマ化されていたことも芦原さんの文を読むまで知らなかったし、ドラマに誰が出演しているのかも知らなかった。もう1つ、芦原さんがTwitterに慣れていないであろうことは分かっていたのにRTする形でものを言ったこと。内容が何であれ、RTの数をカウントアップしただけでも全く作用しなかったとは言い切れない。それがたぶん後悔の理由。

その後は、一緒に漫画を作ってきた担当編集者は悔やんでも悔やみきれないだろうということを思い心配になった。自分がその立場だったらと思うと気持ちや身体が耐えられるか分からないと思うし、想像しただけで実際少し吐き気がこみ上げた。

何があったのだろう、と思う。芦原さんがブログに書かれていたとおり「この文章の内容は私達の側で起こった事実」なのであり、テレビ局側、制作側で起こった事実もあるだろう。

その経緯を詳細に知りたいと思う。関係者に、芦原さんの死に対する自責の思いを持っていることを確かめたいとも思う。ただ、それを自分が知る必要があるのか、という疑問もある。たぶん無いのだろう。だから公に向けて説明すべきだとは思わないし、言いもしない。説明するならもちろん聞きたいが。

いろいろな可能性があるので、誰のどんな言動がこの最悪の結末を引き起こしたかは調査をしても恐らく本当のところは分からないかもしれないし、一つの要因ではなく細かい事実が積み重なって流れがつくられたというのが本当のところだろう。

何を「良い」「悪い」と言うかは、ビジネスの常識や仕事上のコミュニケーションははこうあるべきという規範を物差しに拠ることになるのだと思うが、それは業界によって違うし、細かく見れば人それぞれ少しずつ違う。

まとまらないのでいきなり終わるが、思うことが出てきたらまた書くかもしれない。ここはそういうブログ。

2024年の初詣は江戸前エルフにちなんで住吉神社へ

2024年は元旦から風が荒く、元日夕方には能登半島地震、2日には羽田でJALと海保の飛行機が衝突・炎上、3日には福岡・小倉で大規模火災という凶事から始まった。どうなることやら。

今年は3日に住吉神社を初詣。江戸前エルフにちなんで。でもあんまり聖地感はなかったかな。隣に並んでた馬鹿二人が鳥居をくぐる前から賽銭箱の前に立つ時までずっっっとデカい声でどうでもいいこと喋ってて全く神聖さのないお参りになってしまった。

まあおみくじ大吉だったからよしとするか…

運勢:大吉

桃桜 花とりどりに 咲き出でて
風長閑なる 庭の面哉

長閑な庭の美しい花の咲き匂って春の盛りの楽しい様に上吉の運に向かいます
けれど油断せずに信神して行い正しく些かも不義の楽しみに身を過たぬ様にせよ

願望 漸々吉運に向いて思わず早く叶う
待人 来ます
失物 出る 低い所
旅行 早く行くが利
商売 ひそかにすれば吉
学問 安心して勉学せよ
相場 無理をすると大損
争事 初は悪く後勝
恋愛 他人の言動に惑わされるな
転居 時を置け
出産 さわりなし 安産
病気 なおる 信神せよ
縁談 気長く思いすれず居れば 心のままになります

KANさんのクリスマスソング

KANさんはクリスマスソングが多い気がする。

「KANのクリスマスソング」
1992年だから自分が高校3年の頃かな。ジャケットに時代を感じる。タイトルに自分の名前を冠するのがよい。

「今年もこうして二人でクリスマスを祝う」
1999年。とりわけこの曲をこんな気持ちで聴くなんて思いませんでしたよ。

「Christmas Song」
2011年。