自律+軌道走行のハイブリッド自動搬送ロボットで、物流現場の問題解決に挑むLexxPluss

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

近年のECの市場拡大に加え、コロナ禍での需要増から、「物流」が改めて人々の生活を支える重要な社会インフラとして認知されてきた。しかしその半面、人口減少や少子高齢化を背景に、物流業界の人手不足感は年々強まっている。そうした物流現場の問題を自動搬送ロボットで解決すべく2020年3月に創業したスタートアップ、LexxPluss(レックスプラス)の代表取締役CEO阿蘓将也(あそ まさや)氏に、起業の経緯とプロダクト開発の背景、今後の展望について聞いた。(撮影:加藤甫)

人と協調して働く自動搬送ロボット

倉庫と聞くと、アマゾンを始め自動化がダイナミックに進んでいる業界のように思えるかもしれない。しかし、現状、殆どの物流倉庫では、品物を載せたパレットを運ぶフォークリフトや、ピッキングする作業員が庫内で行き交う非常にアナログな現場である。

LexxPlussが開発しているのは、そんな物流倉庫で使われる自動搬送ロボット(AMR:Autonomous Mobile Robot)だ。倉庫における自動搬送ロボットは、「無人の環境で動くロボット」と「人がいる環境で、人と協調して動くロボット」の2種類に大別できる。

Amazonが2012年に買収したKiva Systemsの技術をベースにした自動搬送ロボットは、現在グローバルで導入が進んでいるが、これは無人の環境で動かす類いのロボットだ。作業員は定位置にいて動き回ることはなく、代わりにロボットが倉庫内を縦横無尽に動き回り、棚や台車を人のいるところに運んでくる。全体を俯瞰して複数のロボットを最も効率的に動かす完全自動化システムは、ロジックを組んでその通りにロボットを動かすことができればよく、「人とぶつからないように」といった安全性を考慮しなくてよい分、比較的容易に実現可能だ。

ただ実際のところ、物流業界を見渡してみれば完全に無人の倉庫はないといっていいし、それを目指してすらいない物流企業がほとんどだ。

阿蘓将也氏。2020年3月末に創業したLexxPluss代表取締役CEO。かわさき新産業創造センター(KBIC)の1室がオフィス。部屋を飛び出し、廊下を使って走行テストを行うことも。

「自動搬送ロボットの開発はさまざまな企業が取り組んでいますが、人が活動する領域で、正確に、安全に、効率よく動けるロボットがあるかというと、ある動きはできるが、別の動きはできないといった具合で、十分なものはありませんでした。加えて、動きが限定的なロボットですら導入できていない倉庫が大半です。倉庫の約80%は、そもそも自動化ソリューション導入に向けた試験すらできていないというデータもあります。僕らはそこに可能性を見いだしました」と阿蘓氏は話す。

自律走行と軌道走行をかけ合わせた「ハイブリッド型」の強み

LexxPlussの自動搬送ロボットは、「自律走行モード」と「軌道走行モード」という2つのモードを備え、場面に応じて切り替えられる「ハイドブリッド型」であることが特徴の一つだ。

「自律走行モード」とは、自動運転でも使われているセンサーやLiDARなどを用いて、周囲を認識して障害物を避けたり、場合によってはいったん停止したりしながら目的地に向かって自律的に走行するモードのこと。

一方、「軌道走行モード」は、床面に軌道線を引き、その軌道上を走らせるモードだ。これまでも製造工場などで磁気テープ誘導による無人搬送車(AGV:Automatic Guided Vehicle)は長らく使われてきたが、LexxPlussは20年近く技術革新がなかったAGVを高度化させた「次世代AGV」を開発した。磁気テープではなく、コードを印刷したテープを軌道線とし、特殊なカメラを使ってさまざまな情報をテープから読み取る。それを、独自に開発したシナリオベース制御システムと掛け合わせることによって、ロボットに30種類以上の多様な動きを与えることができる。

軌道走行モードで使用する軌道線には独自のドットコードがプリントされている。

「この2つのモードを、倉庫をはじめとする物流現場のやりたいことに応じてパズルのように組み合わせて使える点が、ロボットを制御するソフトウェア面の特徴です。これによって、現場の作業工程やレイアウトを変えずとも、人や設備とロボットが精緻に連携できます」

技術に優劣はなく、問題を解決できる技術を採用する

現在では、物流システム/マテハン(マテリアルハンドリング)機器メーカーのみならず、自動運転技術を持つ総合電機メーカーなども自律走行を主軸とした自動搬送ロボットの世界に参入してきている。そのような流れの中で、LexxPlussが枯れた技術ともいえる軌道走行とのハイブリッドにしたのはなぜか。

「自律走行は、例えば人を見たら自律的に迂回(うかい)する技術です。周りの環境が変わると、それに合わせてロボットの挙動も少しずつ変わり、位置がずれてくるんですね。でも、実際の物流現場のロボットに対する要求水準はすごくタイトです。例えば、搬送する棚を『だいたいこの辺に置いて』ではなく、『作業員の真横◯cmの位置にこういう向きで置いてくれ』というレベルで指定されます。そして、100回やったら100回同じ場所に止めなければなりません」

作業員が棚から物を取って梱包作業をする際に、一歩踏み出して物を取るか、その場で動かず物を取れるかの違いは、作業効率に影響する。1回ごとには大して差がないように見えても、小さなロスが積もり積もって、例えば出庫時間が予定を大きく過ぎてしまうことにもなりかねない。

「そのような精緻な搬送は、人間に任せるほうが簡単なんです。でも、ロボットの自律走行でやろうとすると、繰り返しで精度を求められるものは意外に難しくてやりにくい」

自動搬送ロボットのハードウェア「LexxHard」の試作モデル「V3」。この上に棚や台車を載せて走行する。複数のカメラ、センサー、LiDARなどを搭載し配線が込み入っている。

では、軌道走行モードで同じ動作をさせればよいかというと、そうはいかない事情がある。物流倉庫では、例えばセールの時期は大きく作業量が増え、ロボットに求められる動きが変わる。倉庫によっては朝と夜で使い方が違うこともあり、同じ磁気テープをずっと引いておくことは考えにくいのだ。

そうした現場の細かいニーズに対応するためには、棚を作業員に横付けするときや狭い通路を通る際には軌道走行に、作業場所と作業場所の間の長い距離を行き来するときは自律走行に切り替える「ハイブリッド型」が現時点での最適解だという判断に至った。

「自律走行と軌道走行、2つの技術の間に優劣はなく、単に技術の種類が違うだけ。両者の“いいとこ取り”をして、それぞれの技術の得意な部分を使い分けるのがよさそうだと考えた結果が、ハイブリッド型でした」

当初の起業アイデアは「高層マンション向け自動搬送ロボット」

1990年生まれの阿蘓氏は、名古屋大学機械航空工学科を卒業後、英マンチェスター大学に進学する。そこで機械工学デザインを学び最高位で修了した後、2015年に日本に戻りボッシュへ入社した。2年間に及ぶ同社独自の若手リーダー育成プログラムを通じて、自動運転開発に携わった。その後、社内の新規事業である自動バレーパーキング(AVP:Automated Valet Parking)システムの日本開発チーム立ち上げに技術リーダーとして参画した。

バレーパーキングとは、ホテルなどでクルマを駐車する際に、運転手に代わってホテルの係員が駐車作業を行うサービスのこと。これを、係員ではなくクルマ自身が行うシステムがAVPだ。AVPは同じ自動運転でも公道を走らせるのと違って、クルマを動かす空間が限定的なのが特徴だ。この経験が、後の起業時に「何をつくるか」を考える際に影響を与えることになる。

「潜在的には、いつか自分で何かやりたいと思っていました」と話す阿蘓氏は、過去にもアプリの起業アイデアを持って投資家のもとを回ったり、Deep4Driveというモビリティサービス開発有志団体を設立したりもした。そんな中、今回LexxPluss起業の最初のきっかけとなったのは、ボッシュ在籍時にチームで雑談中にふと生まれた「高層マンション向けの自動搬送ロボット」のアイデアだった。

「高層マンションの構内は広い。荷物を持ってエントランスと部屋を行き来するのは大変だから、搬送を自動化したらいいんじゃないか」。そう考えた阿蘓氏は2019年秋頃から本格的に動き出し、利用者として想定する高層マンション居住者へのヒアリングと、ロボットのプロトタイプ制作に取り組み始めた。

コロナ禍の今も毎週のように顧客と対話し、常に現場の問題と向き合ってプロダクト開発に生かす。

「自動運転やロボットで難しいのは、ビジネスモデルなんです。開発コストが非常に大きいこれら技術を顧客が導入する理由は、『人手にかけていたコストが大きく削減できる』か、そうでなければ『付加価値がとてつもなく大きい』しかありません。高層マンション向けの搬送ロボットは後者の位置付けで『行ける』と当初は思っていたのですが、ヒアリングを重ねる中で『あれば助かるけれど、費用を払うほどではない』というのが大方の意見だと分かりました」

ビジネスとして成立しづらいと判断した阿蘓氏は、高層マンション向けロボットを断念。すぐさま、現在の物流倉庫向けの自動搬送ロボットにピボットした。2020年3月の会社設立直前のことだった。

「メーカーの工場から物が出荷されて倉庫に行き、届け先まで運ばれる。この物流の一連の流れのどのプロセスにも、自動化のニーズはあります。ただ、宅配業者が担っているラストワンマイルの部分は公道がフィールドですから、技術的に必要な要素も多く難易度が高い。でも、物流倉庫であれば空間が限定されていますし、前職の自動バレーパーキングシステムに携わった経験から、技術的に何が必要で何が不要かは感覚的に分かっていました。自分たちが持つ技術と、自動化のニーズが合致したところが倉庫の搬送自動化だったというわけです」

ロボットへの対価でなく倉庫の業務効率化という「成果」に課金

LexxPlussでは、自動搬送ロボットを作って販売して終わりという、従来型の製造業のビジネスモデルは想定していない。

「具体的なビジネスモデルは、まだ検討しているところです。最終的に目指しているのは、僕らのロボットが広く使われることはもちろんですが、使われたことによってお客さまの倉庫での業務が効率化されることです。最終的な成果から対価をいただくモデルにしたい。その可能性の一つとして、Robot as a Service(RaaS)というサブスクリプションモデルを考えています」

企業が実際にロボットを導入するまでには、検討、導入、運用の3つのフェーズを経ることになる。LexxPlussは、その3つを合わせて総合的に付加価値を提供できるようなビジネスモデルの設計を試みている。ただ、現時点ではプロダクトが開発中ということもあり、先行して検討フェーズの企業向けに「自動搬送ロボットの導入分析サービス」を有償で提供しているところだ。

プロダクトがリリースされた後は、導入フェーズの企業のニーズに応じて、「販売してほしい」という企業には販売モデルで対応し、導入後の運用も必要としている企業にはRaaSで対応する、そんな未来が阿蘓氏には見えている。

「理想としては、検討と導入フェーズのサービスは無料で提供したいと考えています。お客さまはロボットが欲しいわけじゃなくて、ロボットを使って業務効率化と安定的な運営をしたいのですから。そこまで行き着いた段階で対価をいただくモデルに、できればしていきたいと考えています」

持てる技術よりも、まず問題に向き合う

目下LexxPlussのメンバーが注力しているのは、ハードウェアである自動搬送ロボット「LexxHard」の量産モデルとなる「V4」の開発だ。試作機の位置付けだったV3をベースに、サイズを60×60cmに収め、筐体デザインも施して市場に投入できる形にバージョンアップする。小型ながら、積載重量は300kg、牽引なら500kgまで運べるLexxHardのパワフルさは「グローバルのニーズにも十分応えうる」と阿蘓氏は確信する。

LexxHard V4のデザインスケッチ。

また、LexxHardの動きを司るソフトウェア「LexxAuto」については、基本技術はすでにあり、現在は物流現場に合わせたクオリティー向上に勤しむ日々だ。

「僕らが目指しているのは、軌道走行で止まったときの誤差を99%以上、±1cmに収める精度です。現状では、同じ作業をすれば必ず目指した位置に止められますが、いろいろな動作シナリオと組み合わせた場合にも精度を保ち、人との作業連携に問題が起きないようにするのが目標。あとは、モードの切り替え速度を早めるなどの細かいチューンアップをしながら、ソフトウェアの品質を磨き続けています」

LexxPlussは、コーポレートビジョンに「Sustainable Industry, Sustainable Life (持続可能な産業と持続可能な生活を)」と掲げてスタートした。「自分はエンジニア出身なので技術起点で考えがち」と話す阿蘓氏は、このビジョンに込めた意図をこう語った。

「解決すべき問題をおろそかにしてしまって、技術ドリブンでプロダクトを作ってみたら全然売れなかった──そういう話は技術会社の“あるある”ですよね。だから僕らは、まず問題に向き合う、その解決のために技術を使う会社でありたいと思いました。今はロボットが問題のソリューションとして正しいと思ってやっていますが、10年後は違うかもしれない。その時は、何か全く別のプロダクトをつくっていてもいい。自分たちの生活の基盤となっている産業を支える、このビジョンは普遍的なターゲットであり、熱意を持って取り組んでいけると思っています」

DOS/Vブルース

<Facebookでブックカバーチャレンジが回ってきてしまったので1冊だけアップした。少し手直しして残しておく次第。>

鮎川誠の著作、『DOS/Vブルース』(1997年/幻冬舎刊)。もちろんシーナ&ザ・ロケッツの、である。学生援護会『Salida』のCMで「職業選択の自由 アハハン」とやっていたあのシナロケの(←この本とはあまり関係ない)だ。

最初はコンピューターを「ロック・スピリット」からほど遠いと感じていた彼が、ウィルコ・ジョンソンなど海外のミュージシャン仲間に感化されてパソコン(IBM Aptiva 730)を購入し、プロバイダーに申し込んでインターネットに接続し、Win95をインストールし、rokkets.com のドメインを取得してバンドのホームページを立ち上げるまでを事細かに、例の独特の語り口で記してある。

驚くのは、1948年生まれの鮎川誠が95年当時、友人やショップのアドバイスをもらいはしながらも「自分で」PCを選び、ネット環境をセットアップし、HTMLを手書きして、画像の加工・軽量化などの作業までもしていたことだ。

ファイル操作につまずく、文字を打つのにもつまずく、何をするにもとにかくつまずく。その度に、少しずつ使い方を覚えることを楽しんでいる。昔のコンピューター、インターネットはいろいろ自分でやらなきゃならないことが多くて面倒くさかったけど、それ以上に楽しかった気持ちをノスタルジックに思い出させてくれる。

自分の手でサイトをリリースした後、本当に他の人からもアクセスできるのか信じられず、親友に「そっちからも本当に見えているか確かめてほしい」と電話したエピソードや、サイト訪問者との直のコミュニケーションを楽しんでいる様子がたいへんほほ笑ましい。「ロックが好きならみんな仲間」で、パソコンでも何でも使って世界中のロックを楽しみたい、そんな気持ちが溢れている。

コンピュータについて、いろいろなことを知っていくにしたがって、コンピュータとロックって、正反対のように見えて、実はなかなかたくさんの共通点があることが分かってきた。

コンピュータの世界は、なんでも自分で決めて動かなければ何も始まらない。ひとつのキーを叩くのも、すべて自分の意志から始まる。そして、返ってくる答えは、イエスかノー、そのどちらかしかない。中間の曖昧な返事なんてない。

何をやりたいのか自分で決断して、そのためには何をやらないといけないのか、自分の選択にかかってくる。それってロック・スピリットそのものだ。だから今では、とても相性のいい友達みたいな存在に感じられる。今やPCは、僕の大切なロックの仲間だ。そして、ロックの好きな人たちにコンピュータをロックの仲間として、こいつはたいしたロックンロール・マシーンだぜと、紹介したいと思っているんだ。(第1章冒頭より)

この時つくった「ロケットウェブ」はそれからずっと、シーナがいなくなった後も、ローンチ当時の原型を残したまま運営されている(よってスマホでは見づらい)。

シーナ&ロケッツ・オフィシャル・ウェブサイト a.k.a. ロケットウェブ

DOS/Vブルース(単行本)

DOS/Vブルース(文庫)

ところで…

後日Twitterで、この『DOS/Vブルース』は山川健一さんの『マッキントッシュ・ハイ』とセットなのだと教わった。知らなかった。。そしてこちらは電子書籍化している!

マッキントッシュ・ハイ(Kindle版)

幻冬舎さん、『DOS/Vブルース』も電子書籍化の程、何とぞよろしくお願い申し上げます。

※2025年6月追記

鮎川誠さんがTwitterで引用リツイートしてくれた。今となっては思い出深すぎるのでここにアップして保存しておく。


ポジティブな思考のネガティブな側面

流行っているらしいブックカバーチャレンジとはまったく関係ないのだが、こんな時だからポジティブ思考を無意識に求めたのか、本棚から久しぶりに『少女パレアナ』を手に取った。買ったのは中学生の時だったか、高校生の時だったか…。奥付には昭和61年の改版再販発行と書いてある。たぶん手元にある本で最も古いものだ。

『少女パレアナ』はアメリカの小説家エレナ・ホグマン・ポーターの作品で、1913年に週刊誌で連載されていたものらしい。1913年というと日本は大正2年、“戦前”どころか第一次世界大戦前だ。この本の村岡花子訳も1930年のもので、昔読んだ時でさえずいぶん古くさい感じはしたのだが、それがかえって時代を感じさせて、気に入っていた。

この作品は当時のアメリカで大ヒットしたらしく、ディズニーが実写映画化したり、時代を下って日本でも『愛少女ポリアンナ物語』としてアニメ化された。この文庫本の表紙もそのアニメからのものだ。

孤児となったパレアナは気難しい叔母さんに引き取られたが、どんな事からでも喜ぶことを捜し出す「何でも喜ぶ」ゲームで、その頑な心を溶かしてゆく。やがてその遊びは町全体に広がり人々の心を明るくした。全篇につつまれている強い希望と温い心は1913年にこの本が出されてから今も尚、多くの読者に読み継がれている。

本のそでに書かれている要約を紹介した。

この本を後生大事に持っているくらいだから、好きな作品だし、大切にしているし、多少は自分の考え方にも影響を与えていると思う。

物語の中のパレアナは、後ろ向きの考えの人、文句ばっかり言っている人を責めないし、「ポジティブであれ」などと説教もしない。父親とどんな時でも続けるよう約束した「よかった探し」(「何でも喜ぶ」ゲームのこと)をひたすら続ける。それが自然と周りを感化していく。その辺りをとても気に入っている。

ちなみにこのパレアナの名前は「パレアナ症候群」という心的疾患の名前の由来にもなっている。Wikipediaによると、パレアナ症候群は現実逃避の一種で、楽天主義の負の側面を表すもの。「直面した問題の中に含まれる(微細な)良い部分だけを見て自己満足し、問題の解決にいたらないこと」「常に現状より悪い状況を想定して、そうなっていないことに満足し、上を見ようとしないこと」などを指す。

この言葉が現在の精神医学でどの程度確かで、広く共有された言葉・概念なのかは分からないが、今、COVID-19と対峙する状況でむやみに「ポジティブ思考」を促される時に思い出したいことではあると思う。

小説にはそういう話は出てこなくて、普通に面白いのでよかったらぜひ読んでみてください。今は新訳や子供向けのものも出ているようなので、お子さんのいる方にもお勧めです。

新訳 少女ポリアンナ(角川文庫)

10歳までに読みたい世界名作17 少女ポリアンナ

ライブドキュメンタリー映画『Let’s Play Two』を観た後のメモ


新宿ピカデリーでPearl Jamのライブドキュメンタリー「Let’s Play Two」が上映されたので観に行ってきた。

「Let’s Play Two」は「2試合やろうぜ」の意味で、シカゴ出身で根っからのカブスファンであるEddie Vedderが、元カブスで殿堂入りのメジャーリーガーであるErnie Banksの声掛けによってつくった応援歌「All The Way」の歌詞の一節のようだ。


この作品は、2016年8月にシカゴ・カブスのホームスタジアムであるリグレー・フィールドで行われたライブを収録したものであり、映画作品というよりはミュージックビデオを映画館でも上映した、という感じだ。

そんなわけで、ストーリーらしきストーリーがあるわけでもないのだが、Eddie Vedderの地元としてのシカゴやカブスの本拠地でライブを行うことへの思いと、108年ぶりにワールドチャンピオンに輝いた2016年シーズンのカブスの軌跡を重ねながら映像は進む。

私がわりと熱心にPearl Jamを聴いていたのはアルバムでいうと「Yield」辺りまでで、それ以降は知らなかったし、Eddie Vedderがシカゴ出身であることも知らなかった。メジャー・リーグは観ないしどこが優勝したかなど気にはしていなかったので、ふつうにドキドキ新鮮な気持ちで楽しめた。

映像はステージからスタジアムのせり上がった観客席を見渡したり見上げたりしたカットも多く、迫力があった。映画館なのでしっかり爆音だし。BD買ってしまうかもしれない。

若い頃あんなに暴れん坊だったEddieが、少年みたいでかわいかった。

以下、「Let’s play two」関連の公式Youtube動画。

映画『Graphic Means』を観た後のメモ

「Graphic Means: A History of Graphic Design Production」という映画の上映会があり、行ってきた。

1950年代の、活字を一文字ずつ箱に詰めて版を組んで印刷していたころから、90年代にDTPが登場して、製版前のすべてがコンピューターで扱える「情報」になった時代までのデザイン・印刷テクノロジーの変遷をたどるドキュメンタリー。

自分は大学を出たあとは就職せず、某印刷会社の中でアルバイトをしていた。映画には、その頃自分がやっていたような作業の様子や、使っていた仕事道具たち──ペーパーセメント、それを薄めたり剥がしたりするソルベント(溶解液)のディスペンサー、雲形定規、ロットリングのペンなどが出てきて、懐しくいろいろ思い出した。

印刷会社でバイトしてたのは1997年。自分が主にやっていたのは雑誌の版下作成だった。写植オペレーターさんが写植を打ってくれた印画紙をブロックごとにカッターで切り、割付(出版社からのレイアウト指示)の通りに台紙に貼り付けていく仕事。

(自分の記憶と空間把握のセンスが確かなら)バスケのコートを3つ4つ取れるくらいのかなり大きなフロアに、写植オペレーターさん、エアブラシ屋さん、キリヌキ屋さん、そして版下屋さんがいた。

ある時、何かの話の流れで社員さんに自分が大卒だということを話したことがあって、「なんでこんな所にいるの?」と笑われた。そういう職場。でもみんなで作業着を着て、黙々と「図工」の時間みたいな作業をするところが、いかにも"モノ"をつくってる工場という感じがして好きだった。

そんな印刷会社のバイトも、1年足らずで辞めた。最後の日、フロア内を挨拶して回った時、前に大卒の自分を笑った社員さんは「二度と来るなよ、こんな所」と送り出してくれた。

その後、今度は出版社にアルバイトで入社した。数年後にその会社で社員になり、研修としてかつてのバイト先だった印刷会社を訪れることになった。

「一緒に働いていた社員さんに会えるかな」などと少し期待していたのだけど、自分が働いていたフロアに行ったらライトテーブルはきれいさっぱりなくなって、知っている人は誰一人いない。代わりにデスクトップパソコンが「これでもか」ってくらいに並んでいた。

一瞬、「ただ場所が変わっただけかもしれない」とも思ったけれど、その後にキリヌキ作業をしている人たちの部屋につれて行かれたら、キリヌキもPCでやっていた。

自分がバイトしていた頃にカッターでキリヌキをやっていたおばちゃんたちは、おそらくPCを使えなかったと思う。

写植オペレータさんは、DTPを学んで写植機からPCに道具を変えて仕事を続けたかもしれない。続けなかった人もいるかもしれない。自分と一緒に版下をつくっていた人たちは元気だろうか。何をしているだろうか。

エロ本のぼかし入れ作業をたまに見せてくれたエアブラシ担当のMさんだけは、タイミング的にたぶん無事定年を迎えたはずだ。

今のAIが人の仕事を奪うの奪わないのという文脈でいうと、たぶんAIなんかのテクノロジーが人の仕事を奪うのは思ったよりも一瞬で、気づいた時にはたいがい遅く、ごっそりと人間の仕事を奪っていくんじゃないかなと、そんなことを思った。

その時には代わりにこれまでになかったような新しい仕事が生まれる、という説があるけれども、全員がきれいにそちらへスイッチするのは難しいだろう。