気づくと2024年も1カ月経過した。何から書いていいか分からないが、とにかくいろんなものが過去に流れていきそうな中で何かを書き留めておかなくてはと思うことがあり。漫画家の芦原妃名子さんが亡くなった件だ。
1月26日14:31のタイムスタンプで、芦原さんが自身のブログに「ドラマ『セクシー田中さん』について」(インターネットアーカイブより)というエントリーを上げ、同じことをTwitterにもポストした。『セクシー田中さん』のドラマ化が決まった頃から制作過程でのミスコミュニケーション、ドラマの最後の2話の脚本を自身が書かざるを得なかったことなどを説明したものだ。
1月18日11:18に「テスト」とだけツイートしているが、その時点で何か書き込もうと準備していたのかもしれない。そうだとすると、それからの1週間ほどの間、時間をかけて発信する内容をまとめていたのかもしれない。ブログに書かれた文章を見ても周到さ、慎重さは伝わってきた。
そして1月28日13:11に、ドラマについて書いたブログのエントリーとツイートをを消して、代わりに最期のツイートを残している。
1月26日14:31〜1月28日13:11の2日間で死ぬことを決めてしまった。
自分は1月27日の朝にTLに流れてきた芦原さんのツイートを見かけ、引用RTしていた。
そして、死亡のニュースが流れたのは1月29日の夕方頃だっただろうか。自分が気づいたのは恐らく19時過ぎで、19:31にツイートしている。
最初にニュースを見た時は血の気が引く感じがした。2日前に引用RTしたこと、あれが何か作用したとは思わないが、よく分かりもしないで絡んだことは少し後悔した。
私はそれまで、『セクシー田中さん』という漫画の存在だけは知っていた。TLに流れてきた広告を何度か見かけた程度だが、タイトルも絵もインパクトがあったので覚えていた、という程度。作者の名前すら知らなかった。ドラマ化されていたことも芦原さんの文を読むまで知らなかったし、ドラマに誰が出演しているのかも知らなかった。もう1つ、芦原さんがTwitterに慣れていないであろうことは分かっていたのにRTする形でものを言ったこと。内容が何であれ、RTの数をカウントアップしただけでも全く作用しなかったとは言い切れない。それがたぶん後悔の理由。
その後は、一緒に漫画を作ってきた担当編集者は悔やんでも悔やみきれないだろうということを思い心配になった。自分がその立場だったらと思うと気持ちや身体が耐えられるか分からないと思うし、想像しただけで実際少し吐き気がこみ上げた。
何があったのだろう、と思う。芦原さんがブログに書かれていたとおり「この文章の内容は私達の側で起こった事実」なのであり、テレビ局側、制作側で起こった事実もあるだろう。
その経緯を詳細に知りたいと思う。関係者に、芦原さんの死に対する自責の思いを持っていることを確かめたいとも思う。ただ、それを自分が知る必要があるのか、という疑問もある。たぶん無いのだろう。だから公に向けて説明すべきだとは思わないし、言いもしない。説明するならもちろん聞きたいが。
いろいろな可能性があるので、誰のどんな言動がこの最悪の結末を引き起こしたかは調査をしても恐らく本当のところは分からないかもしれないし、一つの要因ではなく細かい事実が積み重なって流れがつくられたというのが本当のところだろう。
何を「良い」「悪い」と言うかは、ビジネスの常識や仕事上のコミュニケーションははこうあるべきという規範を物差しに拠ることになるのだと思うが、それは業界によって違うし、細かく見れば人それぞれ少しずつ違う。
まとまらないのでいきなり終わるが、思うことが出てきたらまた書くかもしれない。ここはそういうブログ。