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fabcrossで書いた記事まとめ

東京発、世界へ——折りたたみ自転車「iruka」創業者のこだわりを実現したプロダクトデザインの軌跡
足立区の町工場発「端材」に命を吹き込む「チョコ・ザイ」がハンドメイド作家たちと出会った
振動で視覚障害者の歩行をサポートする「あしらせ」——ユーザーと共に作り上げる開発体制
毛管力で水を吸い上げ「色」で水やりのタイミングを知らせる「SUSTEE」ができるまで
筑波大学発スタートアップ 下肢障害者のための立って乗る車いす「Qolo」はモビリティが持つ「自由さ」を体現する
ワイヤレス給電で世界一を目指すB&PLUS モビリティ、工場、医療、海洋など幅広いシーンで活用が広がる「ワイヤレス給電」の現在と未来
子どもたちが試行錯誤を楽しみながら新しいモノやコトを創造する力を育む——組み立て知育玩具「TEGUMII」に込めた思い
足が不自由な人が自分の足でこぐ車いす「COGY」に見る、人と道具の関係
研究者に聞いた「折り紙」をものづくりに取り入れるヒント——筑波大 三谷教授
豊橋技術科学大学ICD-LAB「弱いロボット」に学ぶものづくりのアイデアのヒント
元鉄筋工が開発した鉄筋結束ロボット「トモロボ」を作り上げた「引き算の開発」とは?
自律+軌道走行のハイブリッド自動搬送ロボットで、物流現場の問題解決に挑むLexxPluss

「fabcross」「fabcross forエンジニア」サイト閉鎖

1週間前の3月18日に、「fabcross」と「fabcross forエンジニア」が3月いっぱいで終了・閉鎖になるというお知らせが届いた。

「fabcross」、「fabcross forエンジニア」サイト閉鎖のお知らせ | fabcross(魚拓)

自分がfabcrossのニュース系記事の原稿チェックに関わり始めたのが2020年1月。最初に書いた記事が載ったのが2021年2月。で、2024年6月いっぱいで、こちらの都合で編集から退かせてもらうことに。なので最近は一読者だった。編集に関わっていた頃、期末になると「来期も継続できるか?」という話が持ち上がってはいたのだが、最後はあまりに急な決定でびっくりはした。これだけのコンテンツは間違いなく資産だと思うのだけど、ただ消してしまうのはホントに惜しいよなぁ。

10周年のときに淺野義弘さんが書いてくれた記事を貼っておこう。

積み重ねて1万本超! 10周年の歩みを人気記事と振り返る【#fabcross10周年】 | fabcross(魚拓)

MONOistの八木沢篤さんの編集後記に涙。

fabcrossに敬礼!:メカ設計メルマガ 編集後記 - MONOist


東京発、世界へ——折りたたみ自転車「iruka」創業者のこだわりを実現したプロダクトデザインの軌跡

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

自転車の起源は1813年といわれ、およそ200年の歴史がある。最初は足で地面を蹴って走る二輪車だった。そこからさまざまな改良が加えられ、100年以上前には今のような形になった。今では日常の移動、スポーツ競技、旅行の手段と、さまざまな用途で多くの人に使われている。

そんな成熟した自転車市場に2019年、東京発の新たな折りたたみ自転車「iruka」が登場した。irukaの開発元であるイルカの代表取締役 小林正樹氏と、設計に携わったプロダクトデザイナーの角南健夫氏に、開発時にどのような壁に突き当たり、それをどうやって乗り越えたか、試行錯誤の過程を聞いた。(撮影:加藤タケトシ/取材協力:OVE南青山)

ジャックナイフのように折りたためる自転車「iruka」

irukaは、「ミニベロ(小径車)」と呼ばれるタイプの自転車で、かつ「折りたたみ自転車」でもある。同じカテゴリーの自転車ブランドとして、英Brompton(ブロンプトン)、独birdy(バーディ)、米DAHON(ダホン)などが挙げられる。どれも数十年の歴史があり、世界中で愛されるブランドだ。

折りたたみ自転車はたたみ方の機構にそれぞれ特徴があるが、irukaは折りたたんだ際の車輪の収め方に一番の特徴がある。「ジャックナイフフレーム」と名付けられたトップチューブのスリットに、折りたたんで前に持ってきた後輪を格納するのだ。


irukaはシーンに合わせて「ラン」「ウェイト」「ウォーク」「スリープ」の4つの形態に姿を変える。

irukaにまたがると自然と目に入るスリットは意外に大きく、なかなかのインパクトがある。開発元の小林氏が友人の結婚式に出席していたときに、スタッフが折りたたみ式のソムリエナイフを使ってワインの栓を開けるのを見てこの機構を思いついたそうだ。

さらに、折りたたんだ車輪をキャスターにして、転がして運べるのも他の折りたたみ自転車にはない特徴だ。小さなキャスターが付いていて、自転車の車輪を使わずに転がすタイプのものもあるが、小林氏いわく「エレガントじゃない」という理由から、自転車の本来の車輪で転がせることにこだわった。

折りたたみ自転車の第一印象は「思ったよりも走る」

小林氏が初めて折りたたみ自転車に乗ったのは、2004年のこと。結婚を機に家の周りを走る生活のための自転車を買おうと、知人が勤める自転車店を訪れた時だ。ワンフロアをほぼ折りたたみ自転車が占めていて、自然と目に入ってきたそうだ。

「折りたたみ自転車ならオフィスに持ち込んでも邪魔にならずに置ける、通勤にも使える」と気がついて、その場で購入を決めた。ダホンの自転車だった。車輪が小さいため、こいでもなかなか進まないイメージを持っていたが、さっそく乗ってみた第一印象は、「思ったよりも走る」だったそうだ。

イルカ創業者の小林正樹氏。

しかし、乗っているうちに不満を感じる点もいくつか見えてきたのだという。

1つは折りたたんだ状態での持ち運びや置き場の問題。通勤で乗ってオフィスの入ったビルに到着した後、10kgを超える自転車を持ってビル内を移動するのは、短い距離とはいえなかなか大変な作業だった。また、折りたたんでも会社のデスクの下に置けるほどにはコンパクトにならなかった。

もう1つは、走行性能に関する問題だ。小林氏が購入したダホンの自転車は、トップチューブの真ん中辺りで横に折るタイプ。上り坂でペダルを踏み込むとフレームがきしんだり、ハンドルポストがたわんだりした。

「最初は気づかなかったけれど、乗り込んでいくと『これが、剛性が足りないということか』と分かってきました」(小林氏)。

会社が上場を果たし、次のチャレンジを探していた

しかし、もともと自転車が趣味というわけでもなかった人が、折りたたみ自転車を気に入ったから、不満な点が多少あったからといって、いきなり「新しい折りたたみ自転車を自分でつくろう」とはならないだろう。何が彼を駆り立てたのか。

かつて小林氏はインターネット広告代理店オプトの創業メンバーで、財務など管理部門全般の担当役員であり、上場準備の責任者でもあった。小林氏が折りたたみ自転車に出会ったのは、2004年にオプトが上場を果たした少し後、一大事業を終えて「次は何をしようか」と漠然と考えていた時期だったのだ。

そんな頃、経営陣のミーティングで、互いの理解を深めるために個人の夢を共有することになった。自分はどんな夢を話そうか、それ以前に自分の夢は何なのか。考えを整理するために、仕事に関わること、趣味でやっているテニスやボディボードに関わることなど、思い浮かんだことを書き出していった。いくつも挙げた中で、「『自分で折りたたみ自転車ブランドをつくる』と書いた時に、『これだ』と思った」のだという。

そうして思いが定まった小林氏は2008年にオプトを退職し、イルカを創業。IT業界を離れ、ものづくりの世界で起業することになった。

自転車業界の構造、市場動向の把握からスタート

手始めに、自転車ショップの知人に話を聞いた。自転車業界の構造がどうなっているのか、どんなプレイヤーがいて、お金がどのように流れているのかといった全体像を把握した。

さらに、香川発の自転車ブランド「Tyrell(タイレル)」を開発したアイヴエモーションの廣瀬将人社長にも飛び込みで会いに行ったそうだ。廣瀬氏は、独学で自転車づくりを学び、自らデザインしてタイレルを立ち上げた人物だ。

「廣瀬社長は、私からするとオリジナルの自転車ブランドを立ち上げた大先輩。何から着手して、どのような手順を踏めば自転車をつくれるのかが大まかに見えてきました」(小林氏)。

当時、廣瀬氏は「日本で製造するのは無理」だと話していたという。今でこそタイレルは日本で製造しているが、2000年代前半は、日本での自転車生産は完全に台湾、中国に取って代わられていて、国内で量産するのはほぼ不可能だったのだ。

「自分も台湾か中国へ生産パートナーを見つけに行くんだろうなと思いました。そのためには、とにかく図面が必要。でも、私はアイデアだけはあったが設計のスキルはない。そこで、一緒に作ってくれるプロダクトデザイナーを探しました」。

“自転車好き”のプロダクトデザイナー、角南氏との出会い

現在、irukaのプロダクトデザイナーである角南氏は、実は2代目だ。開発を始めた当初は別のプロダクトデザイナーが車体の設計を担当していた。3回目の試作車までは初代デザイナーの設計で、中国へ工場探しにも一緒に行ったそうだ。

車体の設計と並行し、小林氏はirukaに取り付けて荷物を運べるサイクルトレーラーを作りたいと考え、共通の知人を通じて知り合った角南氏に設計を依頼していた。その後、初代デザイナーが事情によりプロジェクトを離脱することになり、角南氏が車体のデザインも手掛けることになった。

irukaのプロダクトデザイナー・角南健夫氏。

角南氏は千葉工業大学で工業デザインを学び、最初は家具メーカーに就職した。インハウスのプロダクトデザイナーとして、さまざまな製品のデザインを経験した後、フリーランスとして独立。2002年に自身のデザイン事務所TSDESIGNを設立した。

「基本的にプロダクトデザイナーはどんな製品でも対応するものですが、自転車は特殊な知識が必要なので、誰でもすぐにできるものではないんですね。その点、自分は高校生の頃から自転車が趣味でしたし、ショップ経験もある、『自転車が得意なデザイナー』みたいなキャラでした。自分としても“好物”な案件だったので、車体の設計も頼んでくれるのなら超うれしい! ぜひやりたい! と思って仕事を受けました」(角南氏)。

試作車は「重過ぎる」「剛性が足りない」

最初の試作車の設計図(写真提供:イルカ)

これがirukaの最初の設計図で、初代デザイナーが書いたものだ。小林氏は、「これを持って、中国へ飛んでいくつかの工場を訪れたが、やはり実物がなければ本気度が伝わらず、話が全然進まなかった」と当時を振り返る。

そこで試作車を作ろうと、協力してもらえる職人を探して、スケルトンモデルを作ってもらった。それが下の写真の試作車だ。意匠も何もないが、この時点で「ジャックナイフ」の構造は一応、達成できていた。

最初の試作車。(写真提供:イルカ)

「次に上海近郊の工場で作った試作車がこれ」と小林氏が見せてくれたのが、次の写真だ。

2回目の試作車。(写真提供:イルカ)

角南氏が最初に見たのは、この段階だったそうだ。小林氏は、「この段階で一応形にはなっているのですが、まだいくつも課題があります」と説明する。最大の問題は「あまりにも重過ぎる」こと。人を乗せてペダルをこいで走らせる上ではフレームの剛性が足りない。またフロントフォークの剛性も足りず、まっすぐ進まない状態だったという。

角南氏は、この1つ後の試作車から車体のデザインに参加することになる。

ジャックナイフフレームを実現した「アルミ押出技術」

「完成したirukaのトップチューブは1本のパイプでできていますが、これは角南さんのアイデアでした」(小林氏)。

「私がたまたま『アルミ押出』という技術を知っていたんです。窓のサッシなどを作る際に使われる技術ですね」(角南氏)。

アルミ押出とは、溶かしたアルミ材に圧力をかけ、金型から“ところてん”のように押出して複雑な断面形状のアルミ材を1つの工程で作る技術だ。

通常、パイプと聞くと1枚の板が続いている下図(左)のような断面のものを想像するだろう。アルミ押出技術を使うと、下図(右)のように中に仕切りが入った状態の1本のパイプを作ることが可能になる。この仕切りに挟まれた部分を削れば、車輪を収めるための穴ができるわけだ。このアイデアと技術によって、irukaの軽くて強いフレームが実現した。

「この技術を提案したことが、私の一番大きな構造的アイデアです」(角南氏)。

アルミ押出技術を用いたことで、溶接箇所を減らすことにもなったと小林氏は話す。

「自転車のフレームは、基本的にパイプとパイプを溶接でつないで作ります。ただ、溶接すると一度その部分が溶けるので、元の温度に戻る時に必ず“歪み”が発生するんですね。それを熱処理で一度柔らかくして中に溜まっているストレス(応力)を取り去り、木づちなどで叩いて誤差を戻していきます。そして最後に、また熱を加えて硬くするプロセスが必要になります」(小林氏)。

つまり、アルミ押出技術を使って1本のパイプでトップチューブを作ったことにより、溶接箇所を4点も減らしたことになる。

「元の作り方だったら、誤差の修正がとんでもない工数になっていたはず。製造コストを大きく抑えるアイデアでもあったと思います」(小林氏)。

最初の試作車から8年がかりで「iruka」完成へ

「そのほかに苦労した点として、折りたたんで固定する構造の設計は何度もやり直しました。生産工場にはそれぞれ得意な技術と不得意な技術があるので、設計を変えるたびに工場を変えたり、逆に工場ができることに合わせて設計を変えたりする必要がありました」(角南氏)。

折りたたみ時の寸法は78×48×35cm。高さを50cm以下にすることにこだわった。

現在は台湾にパートナーがいて、小林氏のエージェントとして工場のコーディネートなどに動いてもらっているそうだ。

そうして数々のトライアンドエラーを繰り返し、最初の試作車から8年の年月を経て、2019年5月にirukaは完成した。

小林氏によると「妥協した要件はほとんどない」ということだが、「重量だけは当初想定していた10kgジャストよりは重くなった。削るのにも限界があったのと、内装方式の変速ギアを譲れなかったため、重量だけは妥協しました」。

開発過程を振り返り、角南氏はこのように話す。

「私が小林さんのアイデアを聞いて、要件を満たした状態ですぐ形にしてフィードバックできるところが、私の“お役立ちポイント”かなと思っています。自転車は『形=機能』なので、形だけ考えても作れない、作れても乗れない、ということが結構あるんです」(角南氏)。

その点で角南氏は、プロダクトデザイナーとしての幅広い経験から具体的な実現方法を提案できる。

「自分はエンジニア寄りのデザイナーだという自覚があります。プロダクトデザイナーにはかっこいい絵だけ描く人もいますが、私は作る方法やコストまで考えるのが好きなタイプ。あらゆる工業の仕事をしてきて、木工、金属加工、板金、プラスチック成形、縫製品などいろいろな技術を経験してきたので、横断的に考えられるのが強み」(角南氏)。

そう話す角南氏が小林氏と出会ったことは、irukaにとってこの上ない幸運だったといえるだろう。

自転車は100年以上前から形が大きく変わっていない

自転車の歴史は長い。角南氏によると、「いくつかの革新があったが、今の形の自転車になってから100年以上、大きく変わっていない」という。そのような成熟した市場に対し、小林氏はどのような勝算をもって参入しようと考えたのだろうか。

「たしかに『自転車』という大きなくくりで見ると成熟している。でも、『折りたたみ自転車』として見れば、まだまだイノベーションの余地があるかなと。ロードバイクのように走行性能を追求すると、どのブランドもだいたい同じ形に収束していきますが、折りたたみ自転車は人によって使い方がさまざまなので、どの方向にも食い込む余地はある。そう考えました」(小林氏)。

ブランドが確立したブロンプトンの折りたたみ自転車は、1台の価格が20万円台から、高いものは50万円にもなる。ニッチでも十分ビジネスとして成立するという考えだ。

「日本における自転車の販売台数は、ほぼ横ばいで推移しています。普及率はこれ以上伸びないけれども、6〜7年に一度は買い替えられているんですね。買い替え需要の中でも、特にロードバイクやクロスバイクなど趣味性の高い自転車のシェアが伸びているというトレンドがあったので、そこにハイエンドの折りたたみ自転車の入る余地は、日本だけでも十分ありうるし、世界でも同じだろうと思っていました」(小林氏)。

最初は「海外だけで売ろう」とも考えていた

2019年の発売当時は「iruka」の1モデルのみだったが、現在はスポーティーなスペックを備えた「iruka S」と、コンフォートな乗り心地に寄せた「iruka C」の2つのモデルを販売している。フレームは共通だが、パーツに違いがある。

「iruka S」が8段変速で、ハンドルがフラットなぶん乗車ポジションがやや前傾。「iruka C」は5段変速で、上体が比較的起きた状態のポジションとなる。タイヤもやや太く安定感があり、街乗り向きのスペックだ。変速機は両モデルとも内装ギアを採用している。

色は、当初はシルバー1色だったが、現在は、ストームグレー、ブラック、ブルー、レッドが加わり、計5色で展開中だ。

「最初1色だけにしたのは、私の強いこだわりでした。選択の余地があるよりは、『irukaといえばこれ』という象徴的なイメージがあった方が販売戦略的によいだろうと、無垢のアルミの色であるシルバー1色にしました」(小林氏)。

最初にシルバー1色で展開したirukaの車体。(写真提供:イルカ)

さらに近々、外装変速機を用いたモデル「iruka X」(仮称)が新たに加わる予定もある。

「内装ギアはペダルを踏み込んだ力が車輪に伝わるのに一瞬のタイムラグがありますが、外装ギアにはそれがなく力が瞬時に伝わります。また外装ギアの方が軽いため、車両全体の重量が1kg前後軽くなります。コストも抑えられるので、SとCの間くらいの価格設定になる見込みです」(小林氏)。

irukaは発売以来、アジアを始めヨーロッパ、北米地域の15カ国(日本含む)に出荷した実績があり、現在までの売上の約半分は海外だという。

「最初から海外で売るつもり、むしろ海外だけでいいと思っていました」と小林氏は話す。

発売した2019年の夏は東京のみで販売を開始し、全国展開する前にはすでにインドネシア、シンガポールへ出荷を始めていた。irukaのWebサイトのドメイン「iruka.tokyo」には、東京発の新しい自転車ブランドを世界に問う意志が込められている。

「折りたたみ自転車の市場としては、日本は3本の指に入る大きい市場。だから無視はできないし、irukaにとっては一番大きなマーケットです。ただ、私の前職が完全にドメスティックな業界だったので、グローバルでやってみたいという思いがすごく強かった」(小林氏)。

日本である程度の成功を収めてから海外へ進出するというのが、当たり前のイメージになっているが、実は難しい。

「日本は、海外からの評価は高いのですが、自国からの評価が低く、そのギャップが一番大きい国なんだそうです。そこから合理的に考えると、日本で成功してから海外に出ていくのは最も難度が高いことになる。日本は少子高齢化でマーケットが縮小しつつあるので、これから起業するなら国内だけでは絶対ダメだし、海外に出て行く人がもっと増えてほしい。そのロールモデルになりたいと強く思っています」(小林氏)。

2024年7月、ドイツ・フランクフルトで開催された自転車展示会「EUROBIKE 2024」に出展。(写真提供:イルカ)

足立区の町工場発「端材」に命を吹き込む「チョコ・ザイ」がハンドメイド作家たちと出会った

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

メーカーが製品や部品を製造する過程で必ず出る「端材」。寸法が余ったものや、作業の残りかす、規格に合わなかったものなどさまざまな端材がある。ものによっては製品となる部分より多いこともあるが、基本的にはすべて廃棄される。そんな端材に新たな価値を与え、蘇らせようとするのが「チョコ・ザイ」プロジェクトだ。(撮影:淺野義弘)

東京・足立区のものづくり企業らが集まって始めたプロジェクト

このプロジェクトに取り組んでいるのは「未来DESIGN」というグループ。TOKYO町工場HUB代表の古川拓氏が事務局長としてまとめ役をしつつ、東京・足立区の町工場の経営者、プロダクトデザイナーらと共に進めている。

未来DESIGNは、プロダクトデザイナーである田口英紀氏が2014年に足立区でものづくりをしている人たちにデザインを教える「デザイン講座」を立ち上げたことから始まった。現在、メンバーは工場の経営者が6〜7割ほど、その他にも作家、デザイナーなどが集まってさまざまな試みを行っている。ちなみに、以前fabcrossで取材した「ミユキアクリル」こと有限会社三幸の小沢頼孝会長もメンバーの1人だ。

その中の実験的な取り組みとして「チョコ・ザイ」がスタートしたのは2022年11月のこと。キックオフイベント「チョコ・ザイ祭り」を、足立区にある未来DESIGNメンバー所有の空き倉庫で開催し、チョコ・ザイの販売とワークショップを行った。その後2023年4月には、足立区の舎人公園で開催された「千本桜まつり」に出展し、チョコ・ザイを100円均一で販売した。

「ちょこっと」の端材を「ちょこっと」だけ加工

ここであらためて「チョコ・ザイ」とは何かを説明しておこう。端的に言うなら、「工場の製造過程で出る端材を、少しだけ加工した材料」のことである。「少しだけ加工」とは、その端材を使う人が怪我をしないようにバリを取ったり、扱いやすい大きさにカットしたりする程度の加工だ。

工場で作るものは規格品であり、ものによっては0.01mmレベルの公差精度が求められる世界である。それに対して端材は“規格はずれ”であり、似たものはあっても厳密な意味で同じ端材はないと言っていい。「そのことを面白味と捉えて、何かに使えないかと考えたのがチョコ・ザイの始まり」だと古川氏は話す。

TOKYO町工場HUB代表で未来DESIGN事務局長を務める古川拓氏。

また、工場で出る端材は基本的に長期間保存するものではない。ある程度たまれば、廃棄ないしリサイクルのために回収されていくし、出る端材を全て加工できるわけでもない。「ちょこっと」の端材を「ちょこっと」だけ加工した材料が「チョコ・ザイ」というわけだ。

一期一会の出会いを面白がってもらいたい

そしてもう1つ、チョコ・ザイの特徴として「賞味期限」がある。本来は回収に出すはずの端材を在庫として抱えるとなると、「それは少し違う」というのが未来DESIGNとしての考え方だ。だから、1日〜数日程度のイベントで販売するか、インターネットで販売するにしても1週間の期間限定販売としている。

「これが、例えば『ハンズに行けばいつでも棚に置いてある』ではちょっとつまらないんですよね。縁日の出店のような感じで捉えてもらえれば」と古川氏は話す。

「今日ここで出会った端材には、もう出会えないかもしれない」、そんな一期一会の出会いを面白がってほしい、面白がれる人に提案したいという思いが、チョコ・ザイのコンセプトには込められている。

クリエイターとの出会いを求めて西へ

2023年8月の終わり、プロジェクトの次なる展開として、東京・世田谷区にあるファブスペース「シモキタFABコーサク室」で、チョコ・ザイをお披露目するイベントが催された。

不定期に催されている「夜のコーサク室」の一環として「『チョコ・ザイ』に出会う会」が開かれ、シモキタFABコーサク室と関わりのあるハンドメイド作家の人たち10人と、未来DESIGNのメンバーが一堂に会した。

実はこのイベントも、偶然の出会いから生まれたものだ。古川氏がたまたまシモキタFABコーサク室を利用しに訪れた際、同施設を運営する一般社団法人CO-SAKU谷の代表・高橋明子氏にチョコ・ザイについて話したことがきっかけだった。

一般社団法人CO-SAKU谷 代表理事 高橋明子氏。

「私自身の本業はマーケティングなので、ものづくりに関しては素人です。この場所をどう使っていくか、試行錯誤しながらここまでやってきました」と高橋氏は話す。クリエイターをはじめものづくりの担い手である人たちの声や要望に耳を傾け、機材やスペースを提供することだけにとどまらず、コーサク室というスペースのポテンシャルを利用者と共に拡げていくことを目指しているという。この「夜のコーサク室」企画やクリエイターと共に開催しているポップアップイベントなどは、まさにそれが形になったものだ。

「ハンドメイド作家さんは、面白い素材を見つけ、それをものづくりに生かすプロフェッショナル。チョコ・ザイの話を聞いて、いい出会いの場を作れるのではないかと思い今回のイベントの形になりました」と高橋氏は開催の経緯を説明した。

チョコ・ザイいろいろ

イベントの冒頭、古川氏はチョコ・ザイのコンセプトを説明し、「私たちにはこれを使って何を作るかというアイデアが特段あるわけではありません。皆さんのような作家さんに、これを見ていただいて、インスパイアされることがあればどんどん使っていただきたいと思っています」と話した。「よかったら見ていってください」の一声の後、めいめいが興味のある材料を手に取りながら、未来DESIGNのメンバーの話に聞き入っていた。

一口に端材と言っても、素材の種類はさまざまだ。金属や樹脂・アクリル、木材、皮革、紙、布、ガラス、陶器のほか、畳の材料であるイグサや縁(へり)の端材もある。どれも“規格はずれ”だが、元は規格品と同じで技術者・職人が厳選した素材だ。

これは、金属加工品の端材。小さな穴の開いた部品をつくるためにプレス機械によってくり抜かれた部分だ。ビンに入っていると星の砂のようできれいだが、くり抜かれた直後は油まみれでバリがある状態なのだそう。繰り返し洗浄して油を取り、バリを取る作業をしてようやくこの形になる。だから、出た端材を全部チョコ・ザイにすることはできない。工場の従業員の方が本業の合間に作業できる範囲内で「ちょこっと」つくるのだ。

イベントに来ていた野村畳店の端材。同店は2007年の全国技能グランプリで優勝し、畳製造技術で内閣総理大臣賞を受賞したこともある。端材も一流の職人が厳選するものだ。

建材店から出る木材の端材。

ワニ、ゾウなどの皮革の端材。

ある程度デザイン・加工されたものもある。

この日シモキタFABコーサク室を訪れた未来DESIGNメンバーのうち、町工場から参加したのは、金属プレス加工の株式会社トミテック代表取締役・尾頭美恵子氏、金網フィルターメーカーであるジャパンフィルター株式会社代表取締役・木村真有子氏、野村畳店の野村祐一氏の3人。

それに対し、ハンドメイド作家は、帽子、革靴、刺繍、アクセサリー、金属工芸、置物など、多方面のジャンルで扱う素材もさまざま。それぞれが興味のあるチョコ・ザイを手に取りながら、何を製造する過程で生まれ、どのような「少しの加工」が施されたものなのか、未来DESIGNのメンバーの説明を真剣な眼差しで聞き入っていた。

作家の1人は、「自分の作品で使っている材料とは全然違う材料を見て、『どんなものが作れるかな』と刺激になりました。これがごみになってしまうのは本当にもったいない。私もそうですが、今日参加した皆さんは何かしらヒントを得たんじゃないかと思います」と話していた。

端材も元は規格品と同じ材料なのに

「今日ここに来ているような方たちにプレゼンテーションしていけば、皆さんのアイデアで端材が息を吹き返すかもしれない。そう思ってやっています」。そう話すのは、未来DESIGNのメンバー・田口氏だ。

プロダクトデザイナーである田口氏は、大手電機メーカーから時計メーカーへ転職し、約20年にわたって時計のデザインをしてきた。香港の事務所に赴任して海外向けの製品をデザインしていたため、在籍期間の半分くらいは海外だったそうだ。

プロダクトデザイナーの田口英紀氏。未来DESIGNメンバーからは「田口先生」と呼ばれている。

そうした経歴のある田口氏には、「とにかく材料に出会ってもらいたい。ものを作る時にこういうものが出るんだということを知ってほしい」という思いがある。

しかし、だからといって無償で端材を配ってしまうと、簡単に捨てられてしまう可能性もある。そのため過去に実施した「チョコ・ザイ祭り」や千本桜まつりでは、1セット100円や150円という低価格で販売した。今回のイベントは、クリエイターにチョコ・ザイを知ってもらうことが目的だったため販売はしなかったが、思いは変わらない。

「やっぱり『買った』という意識を持っていただきたいので。材料として価値はあるんです。例えばこの端材は国産高級車に使われている材料。製品は高価なのに、端材はごみでしかない。でも同じ素材なんです」(田口氏)

チョコ・ザイの今後の展開の1つとして、デザイン専門学校や美大に提供し、教材として置いてもらうことを考えているそうだ。

「実はそういう芸術系の学校で、材料工学を教えているところはあまりないんです。理工系に分類されますし、先生も材料についてはそれほど詳しくない。芸術系以外でも、例えば工業高校でもいいと思う。そういうところに教材として置いてもらうと、一つの手がかりになるかもしれない」(田口氏)

地域の外に踏み出し社会との対話を求める姿勢が広がりを生む

チョコ・ザイの取り組みについて古川氏は、「サステイナブルだとか、社会をよくしようとか、地球環境を守ろうとか、そういうことを大々的に掲げるつもりはない」と話す。その理由は、「工場は本来的に大量生産・大量消費の一端を担っていますから、それを言い出すと空々しく聞こえてしまう」ということだそうだ。「だから、せめて何か面白い角度から取り組むことができないかと、チョコ・ザイを始めました」。

古川氏はこの日も「対話」という言葉を何度も口にしていた。それは未来DESIGNというグループが、会員企業や特定の業界、地域の発展を目指す商工会的な組織ではなく、「対話」と「学び」を目的とするソーシャルラボと定義されていることに基づく。

「私たち未来DESIGNは、『これからの豊かさとは何か』をテーマに据えています。明確に何をしようという目的はありませんが、人と会って話したり、考えたり、社会とコミュニケーションしていくソーシャルラボとして少しずつ活動しています」

その「対話」には、未来DESIGNのメンバー間の対話だけでなく、地域や社会との対話も含まれる。その意味で、シモキタFABコーサク室と実現したイベントは、チョコ・ザイにとって足立区という地域の「外」に踏み出して対話する重要な機会だった。

「私たちにとって、実はこのイベントのような機会が大事なんです。足立区から下北沢へ来て、いろいろな方にお目にかかって話ができるなんて幸せです。たぶん他ではあまり行われていないのではないでしょうか。やはりどうしても身内で固まりがちで、広がりがなくなってしまうので」と古川氏は話す。

その思いはシモキタFABコーサク室の高橋氏も同じようだった。古川氏をはじめとする未来DESIGNに「外向き」な印象を受けたからこそ、「一緒に何かやろう」という考えになったのだと語っていた。

古川氏は、「作家さんたちにチョコ・ザイを見ていただき、いろいろと発見や再確認がありました。1つは、チョコ・ザイのようなアイデアが東京の西側でも受け入れられるということ。もう1つは、チョコ・ザイはあのイベントのような交流の呼び水ともなりうることです」と語る。一方で「次の段階に進むには何かが足りない」とも話し、これからの展開について高橋氏とさらなる取り組みを企画しているそうだ。

今度はいつ、どこで、どんな形で個性豊かなチョコ・ザイたちと出会えるのか、次の展開を期待したい。


振動で視覚障害者の歩行をサポートする「あしらせ」——ユーザーと共に作り上げる開発体制

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

単独で事故が起こる「歩行」はモビリティと言えるのではないか——そのような発想から、視覚障害者の単独歩行を支援するナビゲーションシステム「あしらせ」は生まれた。視覚障害者が街を歩く際に頼りにする耳を邪魔せず、靴に装着して、足の甲、横、かかとへの振動で道順を知らせるあしらせは、2023年1月から実施したクラウドファンディングで760万円近くの支援を集めた。ユーザーを、共にプロダクトを作り上げる“仲間”にして、顕在/潜在ニーズに応えながら開発を進めるAshiraseの代表取締役 千野歩氏とCTOの田中裕介氏にインタビューした。(撮影:新見和美)

視覚障害者の歩行を支援するデバイス

「あしらせ」は、視覚障害者が靴に取り付けて、振動で道順を知らせるデバイスだ。靴に装着するハードウェア、専用スマートフォンアプリ(現在はiOSのみ)、データ収集/解析の基盤となるWebサービスという3つの要素からなるシステムだ。さらにハードウェアは、靴の外側に取り付ける「本体部」と、靴の中に入れて足を包み込むように密着させ振動で情報を伝える「振動部」の2つに分かれる。

ハイカットの靴やブーツでなければ、スニーカーや革のビジネスシューズなどどのような靴にも取り付け可能だ。

本体部には電池やモーションセンサーなどが搭載され、スマホとの通信や振動を制御する。振動部で振動するのは足の甲、外側面、かかとの3カ所、左右で計6カ所だ。片方分の質量は約65g、卵1個分くらいだから歩く上でほとんど負担にならないだろう。専用のアプリは音声で操作でき、目的地を告げるとルートが設定される。それに沿った情報がスマホアプリからBluetooth経由でハードウェアに送られ、振動部が適宜振動して進むべき方角や道順をナビゲートしてくれる。

「ディレクション」と「ナビゲーション」

あしらせの中心となる機能は、「ディレクション」と「ナビゲーション」の2種類ある。

ディレクションとは、ユーザーの体を起点とした方向(向き)を伝えることだ。アプリで目的地を設定した後、歩き出す時にまずどちらの方向へ体を向ければよいかを伝える。例えば、今向いている方向と逆の向きに歩き始める場合は、かかとが振動するので180度向きを変えて歩き出す。そうすると、今度は足の甲が振動するので「この方向で合っているんだな」と分かる、という具合だ。

あるいは、目的地の近くに到着した時、足を地面に「トントン」とすると、モーションセンサーがその動きを捉え、どちらの方向に目的の建物があるのかを伝える機能もある。分かりやすく「トントン機能」と呼ばれるこの機能は、目的地に到着した以外にも、歩いている途中に「あれ、今のところを曲がらないといけなかったかな?」と思った時に「トントン」とすれば、その地点を起点に進むべき方向をあらためて教えてくれる。

ナビゲーションは、道順を伝える(ルート案内)機能だ。設定した目的地までのルートに沿って歩いていて、曲がり角が近づくと、曲がるタイミングと曲がる方向を振動で伝える。曲がる地点まで距離があるところから長い間隔でゆっくりと振動し始め、さらに近づくと振動の間隔がだんだん短くなることで曲がり角までの距離感を伝える。そして曲がり角に来ると、振動部全体を振動させて「ここを曲がってください」という情報を通知する。

ユーザーの現在地はスマホ側のGPSセンサーで検知しているが、ユーザーの体の向きや「トントン」のような動きは靴に装着するハードウェア側でセンシングしている。スマホをかばんの中に入れたままでも使える点は、他の視覚障害者向けのアプリではあまり見られない特徴だ。

あしらせのベースとなる地図データは、外部のサービスを利用し、ルーティングなどを行っている。ただ、そのままでは視覚障害者向けのナビゲーションにはフィットしない場面もある。例えば大きなカーブを道なりに右へ90度曲がる場合、晴眼者からすると「直進」だが、視覚障害者からすると「右折」として知らせてほしいというニーズがあるそうだ。あしらせは、ユーザーが検索したルートを、視覚障害者向けに解釈してそれを振動で伝えるようにしている。

なぜ振動? 直感的なデバイスを目指して

あしらせは、視覚障害者の単独歩行を支援するナビゲーションシステムという位置付けだ。例えば信号や障害物があることを知らせるような機能はなく、あしらせ自体が安全を担保するわけではない。あくまでも安全はユーザー自身が確認するものであり、進む方向や道順の確認をあしらせに任せることにより「安全確認に集中できる環境をつくる」というのが大きなコンセプトだ。

視覚障害者は、聴覚や残存視力、足の裏などをフルに使って外界の情報を得ている。また近年、スマホは視覚障害者が日常生活上のさまざまな行動に欠かせない重要なデバイスになっている。特にiPhoneが多く使われており、カメラを通じて得た情報を音声に変換するアプリや、読み上げ機能を活用したコミュニケーション用途のアプリなど、音声によるスマホ利用で視覚障害者ができるようになることは非常に多い。

ディレクションにしてもナビゲーションにしても、言葉(音声)で伝えることは簡単だ。でも、ただでさえ安全確認を音に頼る部分の多い視覚障害者が「安全確認に集中できる環境をつくる」ことを目指しているからこそ、あしらせは聴覚を妨げないよう情報を振動という直感的なインターフェースで伝えることに徹している。また、スマホの電池の減りをできるだけ抑えるよう設計するなど、細かい配慮がなされている。専用アプリは画面を閉じたまま使えるため、さらに消費電力を小さくできる。

Ashirase代表取締役 千野歩氏

「生活の中に溶け込むプロダクトにしたいという思いがある。視覚障害を持つユーザーが行動範囲を広げるのを後押ししたい」と、あしらせを開発するAshirase代表取締役の千野歩氏は話す。

ホンダで出会った3人で創業

千野氏は2008年に青山学院大学を卒業後、本田技術研究所(ホンダ)に入社。電気自動車やハイブリッド車のモーター制御エンジニアを経て、自動運転システムの開発に従事していた。あしらせを開発しようと考えたきっかけは、2018年に身内に起きた事故だった。90歳近い目の不自由な義祖母が一人で外を歩いている時に川へ落ちて亡くなった。警察の話では「高齢で目が不自由だったため足を踏み外したのではないか」ということだった。

「自動車というテクノロジーは、常に安全を念頭に置いて開発します。外界からの影響が何もなく、単独で事故が起きるなどあってはならないことで、幾重にも安全対策が施されています。歩行も自動車と同じモビリティの一種だと捉えられるのに、『それにしてはテクノロジーが入っていないな』と思ったことがきっかけでした」(千野氏)

事故の後すぐに、地元にある視覚障害者のための福祉団体にコンタクトを取り、当事者にヒアリングを始めた。ホンダでの仕事とは別に、プライベートの時間を使ってアイデアを出し、プロトタイピングとテストを繰り返していった。翌2019年1月には任意団体SensinGood Lab.を設立し、仲間を増やしながらピッチコンテストにも参加した。

Ashiraseの創業メンバーであり、CTO(最高技術責任者)を務める田中裕介氏と出会ったのはその頃だ。東京理科大学を卒業後、システムインテグレーターに就職した田中氏は、ホンダに常駐して開発に従事していたが、その部署に千野氏が異動してきたのだった。千野氏の取り組みを聞きつけた田中氏は「自分も一緒にやりたい」と申し出て、開発に参画することになった。ただ、ホンダの同じ部署で働いていたのは半年ほど。田中氏は派遣元のSIを退職し、ビジネスと技術を学ぶ“修行”のため転職しエンジンバルブ制御のシステム開発に携わった。

Ashirase取締役CTO 田中裕介氏

あしらせにとっての転機は2021年に訪れた。ホンダの新規事業創出プログラム「IGNITION」の第1号案件に採択されたのだ。ホンダからスピンアウトする形で一部出資を受けながら2021年4月、株式会社Ashiraseを設立した。創業時のメンバーは千野氏と、約1年半の“修行”から戻ってきた田中氏に加え、CDO(最高開発責任者)の徳田良平氏の3人。徳田氏は富士通からホンダへ転職した人物で、主にハードウェア周りを担当している。CTOの田中氏は組み込み含むソフトウェア周りを担う。現在の社員は10人ほどで、業務委託のメンバーも含めると約15人で開発を進めている。

視覚障害を持つユーザーと一緒に作り上げる

あしらせは、2023年1月21日から3月5日にCAMPFIREでクラウドファンディングを実施し、100万円の目標金額に対して173人から約760万円の支援金を集めた。目標金額を大幅に上回る支援を集める結果となったが、その狙いは資金調達とは少し違うところにあったのだという。

「まだ世の中にない新しいものを作るときは、自分たちが想像できる範囲だけでテストしても精度が上がっていかないし、ニーズに合致しないものになってしまう。クラウドファンディングをした一番の目的は、視覚障害者の方に実際に使っていただいて、機能へのフィードバックや我々が気づいていないニーズ、利用データを集めたい意図が大きかった」と千野氏は話す。

ただ、お金を頂いてその上にテストユーザーになってもらうのは都合がよすぎるだろうということで、あしらせを購入した人には「1回新品無償交換券」を付けることにした。「あしらせを購入してテストに協力していただけたら、次のバージョンのハードウェアを無償で提供しますよ」という意味だ。

「ユーザーの方たちと一緒にプロダクトを作り上げていきたいと思っています。クラウドファンディングは、その仲間作りの意味を含めたチャレンジ」だと千野氏は話す。

アクセシビリティが鍵

今回のクラウドファンディングは、Ashiraseにとってプロダクトを売る初めての機会でもあった。その意味で、マーケティングの検証という意味合いも大きかったという。いわゆる「4P」のフレームワークにおける製品(Product)以外の価格(Price)、販売経路(Place)、広告/販売促進(Promotion)をどうすべきかのテストだ。

あしらせは視覚障害者向けのプロダクトだから、一般的なECサイトに掲載すればすんなり売れるわけではない。そもそもあしらせをどのように認知してもらうか、視覚障害者自身が本当にインターネットで購入できるのか、スムーズに購入するにはどのようなサポートが必要かを想定しておく必要がある。

また購入後に使い始めるまでのプロセスも晴眼者とは異なるはずだ。箱の形状をどのようにすべきか、箱から取り出してスムーズに靴に装着してもらえるか、左右を間違えず取り付けられるか、アプリをどのような経路でインストールしてもらうのがよいか、実際にプロダクトに触れる場を設けた方がよいのか——そうした一連の流れをユーザーに合わせて設計しなければ、視覚障害者向けの問題解決には至らないだろう。

樹脂の部分を手で触って、線の数で左右を確認できる。

「購入してもらうこと、使ってもらうことのハードルがものすごく高い領域だと思っています。検証を繰り返しながら、顧客の解像度をより上げていくことが課題。ただ、難しいゆえにナレッジを社内に蓄積していけば競争優位性を築くことにもつながる」と千野氏は捉えている。

ユーザーのニーズを取りこぼさない開発

ここまで見てきたように、あしらせには視覚障害者向けのプロダクトだからこそ求められるものが数多くある。それは「こういう機能が欲しい」「ここを改善してほしい」というユーザーからの直接の要望だけではない。目が不自由な人に買ってもらい、使ってもらうまでをスムーズに実現するために備えるべき要件もそうだ。またメーカーとして品質を担保しつつ、適正なコストのもと利益を確保して持続可能なビジネスと開発体制を築くために必要なこともある。

それらを漏れなく確実にプロダクトやサービスに落とし込むため、AshiraseではCTO田中氏の発案により、MBSE(Model Based Systems Engineering)の考え方を開発に取り入れている。MBSEは製品設計前から市場投入後に至る製品ライフサイクル全体のプロジェクトを管理するための概念で、MBD(Model Based Development)と併せ、日本では自動車メーカーが普及を進めているものだ。SysML(MBDで使われる、システムをモデリングするための言語)を用いて要求、要件定義、設計、実装、テストの流れを一元管理する開発の一端が「Ashirase社員Note」で公開されており、ものづくりをする上で参考になるはずだ。

MBDはホンダで働いていた時も、その後転職した会社でも行っていたが、田中氏は「少しやり方が違うのではないかと思っていた」と話す。そこで、過去の経験を生かしつつ、Ashiraseではゼロからモデルを作ったそうだ。

「ユーザーから頂いた声のうちどれを要求として受け取り、それをどういうシステムに落とし込んでいくかを一つ一つ関連付けて管理できるようになっています。だから、『なぜ今こうなっているかが分からない』ような機能は存在しませんし、もしあったら機能自体を消します」(田中氏)

システム要求図の一部。(「Ashirase社員Note」より

「要求に対してきちんとテストができているかを追えるトレーサビリティがないと、技術的負債がどんどん溜まっていってしまう。それを極力避けることが狙い」だと田中氏は話す。「アクセシビリティを軸に据えているので、振動の分かりやすさや、ナビゲーション自体の分かりやすさを突き詰めていくこと」が目下の課題だ。

歩道の地図データに注目 世界展開も視野に

あしらせが集めるデータにも期待がかかる。現状では、自動車の安全走行支援を用途とする車道の地図データは世の中に多くあるが、歩道の地図データはまだ少ない。あしらせが検知した段差や勾配、障害物などのデータがあれば、例えば配送ロボットを実装する上で有用なデータとなる。また、今後さらに高齢化が進む日本において、シニアカー(電動カート)などの小回りが利く新しいモビリティも増えていくと考えられる。あしらせのユーザーがたどった歩道のデータが貢献できる余地は大きいだろう。

会社としての目下の目標は、2024年度内の単月黒字化だ。これは、国内だけでなく海外の市場も視野に入れている。2023年1月に米国ラスベガスで開催された「CES 2023」に出展し、アクセシビリティのカテゴリでイノベーションアワードを受賞した。

「国内のみで達成できる道筋は立てています。ただ、マーケットは海外の方が圧倒的に大きい。もちろん難しい面もあるが、言語を中心としたプロダクトではないので可能性はあると思っています。CESでも当事者団体の方からはポジティブな反応がありました。アメリカ、ヨーロッパを入り口にあしらせを世界へ広げていきたい」と千野氏は展望を語った。