振動で視覚障害者の歩行をサポートする「あしらせ」——ユーザーと共に作り上げる開発体制

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

単独で事故が起こる「歩行」はモビリティと言えるのではないか——そのような発想から、視覚障害者の単独歩行を支援するナビゲーションシステム「あしらせ」は生まれた。視覚障害者が街を歩く際に頼りにする耳を邪魔せず、靴に装着して、足の甲、横、かかとへの振動で道順を知らせるあしらせは、2023年1月から実施したクラウドファンディングで760万円近くの支援を集めた。ユーザーを、共にプロダクトを作り上げる“仲間”にして、顕在/潜在ニーズに応えながら開発を進めるAshiraseの代表取締役 千野歩氏とCTOの田中裕介氏にインタビューした。(撮影:新見和美)

視覚障害者の歩行を支援するデバイス

「あしらせ」は、視覚障害者が靴に取り付けて、振動で道順を知らせるデバイスだ。靴に装着するハードウェア、専用スマートフォンアプリ(現在はiOSのみ)、データ収集/解析の基盤となるWebサービスという3つの要素からなるシステムだ。さらにハードウェアは、靴の外側に取り付ける「本体部」と、靴の中に入れて足を包み込むように密着させ振動で情報を伝える「振動部」の2つに分かれる。

ハイカットの靴やブーツでなければ、スニーカーや革のビジネスシューズなどどのような靴にも取り付け可能だ。

本体部には電池やモーションセンサーなどが搭載され、スマホとの通信や振動を制御する。振動部で振動するのは足の甲、外側面、かかとの3カ所、左右で計6カ所だ。片方分の質量は約65g、卵1個分くらいだから歩く上でほとんど負担にならないだろう。専用のアプリは音声で操作でき、目的地を告げるとルートが設定される。それに沿った情報がスマホアプリからBluetooth経由でハードウェアに送られ、振動部が適宜振動して進むべき方角や道順をナビゲートしてくれる。

「ディレクション」と「ナビゲーション」

あしらせの中心となる機能は、「ディレクション」と「ナビゲーション」の2種類ある。

ディレクションとは、ユーザーの体を起点とした方向(向き)を伝えることだ。アプリで目的地を設定した後、歩き出す時にまずどちらの方向へ体を向ければよいかを伝える。例えば、今向いている方向と逆の向きに歩き始める場合は、かかとが振動するので180度向きを変えて歩き出す。そうすると、今度は足の甲が振動するので「この方向で合っているんだな」と分かる、という具合だ。

あるいは、目的地の近くに到着した時、足を地面に「トントン」とすると、モーションセンサーがその動きを捉え、どちらの方向に目的の建物があるのかを伝える機能もある。分かりやすく「トントン機能」と呼ばれるこの機能は、目的地に到着した以外にも、歩いている途中に「あれ、今のところを曲がらないといけなかったかな?」と思った時に「トントン」とすれば、その地点を起点に進むべき方向をあらためて教えてくれる。

ナビゲーションは、道順を伝える(ルート案内)機能だ。設定した目的地までのルートに沿って歩いていて、曲がり角が近づくと、曲がるタイミングと曲がる方向を振動で伝える。曲がる地点まで距離があるところから長い間隔でゆっくりと振動し始め、さらに近づくと振動の間隔がだんだん短くなることで曲がり角までの距離感を伝える。そして曲がり角に来ると、振動部全体を振動させて「ここを曲がってください」という情報を通知する。

ユーザーの現在地はスマホ側のGPSセンサーで検知しているが、ユーザーの体の向きや「トントン」のような動きは靴に装着するハードウェア側でセンシングしている。スマホをかばんの中に入れたままでも使える点は、他の視覚障害者向けのアプリではあまり見られない特徴だ。

あしらせのベースとなる地図データは、外部のサービスを利用し、ルーティングなどを行っている。ただ、そのままでは視覚障害者向けのナビゲーションにはフィットしない場面もある。例えば大きなカーブを道なりに右へ90度曲がる場合、晴眼者からすると「直進」だが、視覚障害者からすると「右折」として知らせてほしいというニーズがあるそうだ。あしらせは、ユーザーが検索したルートを、視覚障害者向けに解釈してそれを振動で伝えるようにしている。

なぜ振動? 直感的なデバイスを目指して

あしらせは、視覚障害者の単独歩行を支援するナビゲーションシステムという位置付けだ。例えば信号や障害物があることを知らせるような機能はなく、あしらせ自体が安全を担保するわけではない。あくまでも安全はユーザー自身が確認するものであり、進む方向や道順の確認をあしらせに任せることにより「安全確認に集中できる環境をつくる」というのが大きなコンセプトだ。

視覚障害者は、聴覚や残存視力、足の裏などをフルに使って外界の情報を得ている。また近年、スマホは視覚障害者が日常生活上のさまざまな行動に欠かせない重要なデバイスになっている。特にiPhoneが多く使われており、カメラを通じて得た情報を音声に変換するアプリや、読み上げ機能を活用したコミュニケーション用途のアプリなど、音声によるスマホ利用で視覚障害者ができるようになることは非常に多い。

ディレクションにしてもナビゲーションにしても、言葉(音声)で伝えることは簡単だ。でも、ただでさえ安全確認を音に頼る部分の多い視覚障害者が「安全確認に集中できる環境をつくる」ことを目指しているからこそ、あしらせは聴覚を妨げないよう情報を振動という直感的なインターフェースで伝えることに徹している。また、スマホの電池の減りをできるだけ抑えるよう設計するなど、細かい配慮がなされている。専用アプリは画面を閉じたまま使えるため、さらに消費電力を小さくできる。

Ashirase代表取締役 千野歩氏

「生活の中に溶け込むプロダクトにしたいという思いがある。視覚障害を持つユーザーが行動範囲を広げるのを後押ししたい」と、あしらせを開発するAshirase代表取締役の千野歩氏は話す。

ホンダで出会った3人で創業

千野氏は2008年に青山学院大学を卒業後、本田技術研究所(ホンダ)に入社。電気自動車やハイブリッド車のモーター制御エンジニアを経て、自動運転システムの開発に従事していた。あしらせを開発しようと考えたきっかけは、2018年に身内に起きた事故だった。90歳近い目の不自由な義祖母が一人で外を歩いている時に川へ落ちて亡くなった。警察の話では「高齢で目が不自由だったため足を踏み外したのではないか」ということだった。

「自動車というテクノロジーは、常に安全を念頭に置いて開発します。外界からの影響が何もなく、単独で事故が起きるなどあってはならないことで、幾重にも安全対策が施されています。歩行も自動車と同じモビリティの一種だと捉えられるのに、『それにしてはテクノロジーが入っていないな』と思ったことがきっかけでした」(千野氏)

事故の後すぐに、地元にある視覚障害者のための福祉団体にコンタクトを取り、当事者にヒアリングを始めた。ホンダでの仕事とは別に、プライベートの時間を使ってアイデアを出し、プロトタイピングとテストを繰り返していった。翌2019年1月には任意団体SensinGood Lab.を設立し、仲間を増やしながらピッチコンテストにも参加した。

Ashiraseの創業メンバーであり、CTO(最高技術責任者)を務める田中裕介氏と出会ったのはその頃だ。東京理科大学を卒業後、システムインテグレーターに就職した田中氏は、ホンダに常駐して開発に従事していたが、その部署に千野氏が異動してきたのだった。千野氏の取り組みを聞きつけた田中氏は「自分も一緒にやりたい」と申し出て、開発に参画することになった。ただ、ホンダの同じ部署で働いていたのは半年ほど。田中氏は派遣元のSIを退職し、ビジネスと技術を学ぶ“修行”のため転職しエンジンバルブ制御のシステム開発に携わった。

Ashirase取締役CTO 田中裕介氏

あしらせにとっての転機は2021年に訪れた。ホンダの新規事業創出プログラム「IGNITION」の第1号案件に採択されたのだ。ホンダからスピンアウトする形で一部出資を受けながら2021年4月、株式会社Ashiraseを設立した。創業時のメンバーは千野氏と、約1年半の“修行”から戻ってきた田中氏に加え、CDO(最高開発責任者)の徳田良平氏の3人。徳田氏は富士通からホンダへ転職した人物で、主にハードウェア周りを担当している。CTOの田中氏は組み込み含むソフトウェア周りを担う。現在の社員は10人ほどで、業務委託のメンバーも含めると約15人で開発を進めている。

視覚障害を持つユーザーと一緒に作り上げる

あしらせは、2023年1月21日から3月5日にCAMPFIREでクラウドファンディングを実施し、100万円の目標金額に対して173人から約760万円の支援金を集めた。目標金額を大幅に上回る支援を集める結果となったが、その狙いは資金調達とは少し違うところにあったのだという。

「まだ世の中にない新しいものを作るときは、自分たちが想像できる範囲だけでテストしても精度が上がっていかないし、ニーズに合致しないものになってしまう。クラウドファンディングをした一番の目的は、視覚障害者の方に実際に使っていただいて、機能へのフィードバックや我々が気づいていないニーズ、利用データを集めたい意図が大きかった」と千野氏は話す。

ただ、お金を頂いてその上にテストユーザーになってもらうのは都合がよすぎるだろうということで、あしらせを購入した人には「1回新品無償交換券」を付けることにした。「あしらせを購入してテストに協力していただけたら、次のバージョンのハードウェアを無償で提供しますよ」という意味だ。

「ユーザーの方たちと一緒にプロダクトを作り上げていきたいと思っています。クラウドファンディングは、その仲間作りの意味を含めたチャレンジ」だと千野氏は話す。

アクセシビリティが鍵

今回のクラウドファンディングは、Ashiraseにとってプロダクトを売る初めての機会でもあった。その意味で、マーケティングの検証という意味合いも大きかったという。いわゆる「4P」のフレームワークにおける製品(Product)以外の価格(Price)、販売経路(Place)、広告/販売促進(Promotion)をどうすべきかのテストだ。

あしらせは視覚障害者向けのプロダクトだから、一般的なECサイトに掲載すればすんなり売れるわけではない。そもそもあしらせをどのように認知してもらうか、視覚障害者自身が本当にインターネットで購入できるのか、スムーズに購入するにはどのようなサポートが必要かを想定しておく必要がある。

また購入後に使い始めるまでのプロセスも晴眼者とは異なるはずだ。箱の形状をどのようにすべきか、箱から取り出してスムーズに靴に装着してもらえるか、左右を間違えず取り付けられるか、アプリをどのような経路でインストールしてもらうのがよいか、実際にプロダクトに触れる場を設けた方がよいのか——そうした一連の流れをユーザーに合わせて設計しなければ、視覚障害者向けの問題解決には至らないだろう。

樹脂の部分を手で触って、線の数で左右を確認できる。

「購入してもらうこと、使ってもらうことのハードルがものすごく高い領域だと思っています。検証を繰り返しながら、顧客の解像度をより上げていくことが課題。ただ、難しいゆえにナレッジを社内に蓄積していけば競争優位性を築くことにもつながる」と千野氏は捉えている。

ユーザーのニーズを取りこぼさない開発

ここまで見てきたように、あしらせには視覚障害者向けのプロダクトだからこそ求められるものが数多くある。それは「こういう機能が欲しい」「ここを改善してほしい」というユーザーからの直接の要望だけではない。目が不自由な人に買ってもらい、使ってもらうまでをスムーズに実現するために備えるべき要件もそうだ。またメーカーとして品質を担保しつつ、適正なコストのもと利益を確保して持続可能なビジネスと開発体制を築くために必要なこともある。

それらを漏れなく確実にプロダクトやサービスに落とし込むため、AshiraseではCTO田中氏の発案により、MBSE(Model Based Systems Engineering)の考え方を開発に取り入れている。MBSEは製品設計前から市場投入後に至る製品ライフサイクル全体のプロジェクトを管理するための概念で、MBD(Model Based Development)と併せ、日本では自動車メーカーが普及を進めているものだ。SysML(MBDで使われる、システムをモデリングするための言語)を用いて要求、要件定義、設計、実装、テストの流れを一元管理する開発の一端が「Ashirase社員Note」で公開されており、ものづくりをする上で参考になるはずだ。

MBDはホンダで働いていた時も、その後転職した会社でも行っていたが、田中氏は「少しやり方が違うのではないかと思っていた」と話す。そこで、過去の経験を生かしつつ、Ashiraseではゼロからモデルを作ったそうだ。

「ユーザーから頂いた声のうちどれを要求として受け取り、それをどういうシステムに落とし込んでいくかを一つ一つ関連付けて管理できるようになっています。だから、『なぜ今こうなっているかが分からない』ような機能は存在しませんし、もしあったら機能自体を消します」(田中氏)

システム要求図の一部。(「Ashirase社員Note」より

「要求に対してきちんとテストができているかを追えるトレーサビリティがないと、技術的負債がどんどん溜まっていってしまう。それを極力避けることが狙い」だと田中氏は話す。「アクセシビリティを軸に据えているので、振動の分かりやすさや、ナビゲーション自体の分かりやすさを突き詰めていくこと」が目下の課題だ。

歩道の地図データに注目 世界展開も視野に

あしらせが集めるデータにも期待がかかる。現状では、自動車の安全走行支援を用途とする車道の地図データは世の中に多くあるが、歩道の地図データはまだ少ない。あしらせが検知した段差や勾配、障害物などのデータがあれば、例えば配送ロボットを実装する上で有用なデータとなる。また、今後さらに高齢化が進む日本において、シニアカー(電動カート)などの小回りが利く新しいモビリティも増えていくと考えられる。あしらせのユーザーがたどった歩道のデータが貢献できる余地は大きいだろう。

会社としての目下の目標は、2024年度内の単月黒字化だ。これは、国内だけでなく海外の市場も視野に入れている。2023年1月に米国ラスベガスで開催された「CES 2023」に出展し、アクセシビリティのカテゴリでイノベーションアワードを受賞した。

「国内のみで達成できる道筋は立てています。ただ、マーケットは海外の方が圧倒的に大きい。もちろん難しい面もあるが、言語を中心としたプロダクトではないので可能性はあると思っています。CESでも当事者団体の方からはポジティブな反応がありました。アメリカ、ヨーロッパを入り口にあしらせを世界へ広げていきたい」と千野氏は展望を語った。

毛管力で水を吸い上げ「色」で水やりのタイミングを知らせる「SUSTEE」ができるまで

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

「水やり3年」という言葉がある。植物を枯らさないよう正しく水をあげられるようになるには少なくとも3年の月日がかかる、それくらい水やりは難しいという意味だ。園芸農家や生花店の人でさえ、見た目だけでは植物の“空腹度”の見極めは難しい。個人が趣味で始めた園芸を諦めてしまう要因となるケースも多い。水やりチェッカー「SUSTEE」を使えば、どんな人でも、3年待たずに適切なタイミングで植物に水をあげられるようになる。飛行機のパイロットを辞めて起業した、キャビノチェ代表取締役 折原龍(おりはら りょう)氏に、SUSTEEの仕組みや製品開発の経緯を伺った。(撮影:加藤タケトシ)

電池不要、土に挿すだけの「水やりチェッカー」

植物を育てたことがある人なら、水やりのタイミングを間違えて根腐れを起こしたり枯らしたりしてしまったことが一度はあるのではないだろうか。そうならないためのツールとして土壌水分計というものがあり、土の中の水分量を表示したり、根が土中の水分を吸う力「pF値」を示したりしてくれる。ただ、いずれの指標にしても、どの値の時に水をあげるべきかを知らなければ、適切に水やりができない。

それに対して、キャビノチェが開発した「SUSTEE(サスティー)」は、植物の近くの土に挿しておくだけで、水やりをするタイミングになったら「色の変化」で示してくれる。インジケーターの色が青い時は水をやらなくて大丈夫。白くなったら水をあげる。たったそれだけのシンプルなツールだ。

このような機能を、どのように実現しているのだろうか。

SUSTEEも、指標としてはpF値を使っている。pF値とは、本来土が毛管力によって水を引きつける力を表す値だ。植物側から見ると、根が土に含まれている水を奪おうとする力ともいえる。土の中に水が十分含まれている時はpF値が0に近くなり、植物が力をあまり使わずとも水を吸うことができる状態を表す。しかし土中の水分が少なくなってくると、pF値は高くなる。これは、植物がより強い吸水力を発揮しなければならない状態であることを意味する。

「pF値が1.7〜2.3の範囲は『有効水分域』と呼ばれていて、植物が植わっている土中の水分がこの有効水分域の状態にあれば、“どの植物も”根腐れしたり水が足りなくて枯れたりすることはありません」と折原氏は話す。

植物がしおれかけてから水をやるのでは遅い

SUSTEEは、土から水を吸い上げる「芯材」と「外装」の大きく2つの部分からなる。芯材は、自然由来の繊維をより合わせた不織布と、インジケーター部分に当たる色の変わるシート、それを保護するストロー状のカバー、3つのパーツで構成される。外装はポリカーボネート製で、土に挿す一番長いパーツと、その先端にあるキャップ、インジケーター部分の透明なパーツ、上部のキャップ、4つのパーツからできている。

外装の下部、土に埋まる部分に穴(吸水口)が開いており、ここから水を吸収する。植物に水をあげると、吸い上げられた水がインジケーター部分にまで達し、そこに巻かれている特殊なインクを使ったシートが水分に反応して色が青く変わる。時間が経ち、土中の水分がなくなってくるとシートの色が白くなり、水やりのタイミングであることを教えてくれる。使い方はとてもシンプルだ。

「SUSTEEの構造は、植物と同じなんです。植物は根から水を吸い、毛細管現象によって水を吸い上げる力(毛管力)を使って茎や葉へ水を行き渡らせ、葉から水を蒸散します。SUSTEEは根の代わりに吸水口から水を吸収して、芯材の毛管力で上部まで水を吸い上げます。そして葉の代わりに上部にある2つの穴(蒸散口)から蒸散します」

ただ、ここで1つ疑問が湧く。「どの植物にも使える」という点だ。植物によって必要な水分量が違ったり、乾きに耐えられる期間が違ったりして、水やりのタイミングも違うのではないだろうか。

「よく言われますが、それは誤解です。生花店の方でもそう思っている人が多いのですが、水をあげるべきタイミングが植物によって違うという認識そのものが“勘違い”なのです」

なぜそのような“勘違い”が生まれるのか。折原氏は、「多くの人は、葉がしおれ始めたら水をあげるものと思っているから」だと話す。その状態は、人間にたとえるとすでに脱水症状が起こった状態で、有効水分域の範囲外に当たる。専門的には「初期しおれ点」と呼ばれ、この状態で水をやり続けると植物にダメージが蓄積されてしまうのだという。

有効水分域とは、人間でいうと少しお腹が減った程度の、空腹でも満腹でもない状態だ。このタイミングで水をあげ続ければ植物にダメージはなく、健康が保たれる。つまり、「空腹でもう耐えられない」という状態になる初期しおれ点は確かに植物によって異なるが、水をあげるのに適切な状態は、pF値が1.7〜2.3の範囲に“どの植物も”収まっており、それが有効水分域と定義されているということなのだ。

デジタルデバイスの構想を捨て、アナログな製品へ舵を切る

SUSTEEの「水やりに適したタイミングを色で示してくれる」という極めてシンプルな機能を実現した裏側には、自然物である植物と同じ構造のものを人工的につくるという極めて難しい開発過程があった。

実は当初、折原氏も従来のようなセンサーを用いた水分計をつくるつもりでいた。スマートフォンアプリと連動させて、水やりが必要な時に通知が来るようなものがあれば便利だろう、そんな考えだった。

キャビノチェ代表取締役 折原龍氏

「でも、リサーチで園芸が好きな人や日常的に植物を育てている人に話を聞くと、『アプリは嫌だ』と。拒絶反応がすごく強かったんです。とにかく『手軽に』『挿したら終わり』くらいのものであれば使いたいという意見がとても多かった」

いわゆるガジェット好きな人やIoTに関心がある人からすると、スマホアプリと連動するのは当然のように行き着くアイデアに思える。でも、園芸を趣味とする60代、70代といった年齢層の人たちにとってはハードルが高いのだ。加えて、電気を使うデジタルデバイスにはデメリットもあった。

「センサーを使うやり方のほうが、すでにモジュールが販売されているので設計はしやすいです。微妙な調整もプログラムでできますし。でも、センサー部分を定期的に拭き取りしないといけないとか、LEDで水やりのタイミングを知らせるものだと直射日光が当たって見えないという弱点もあることが分かってきました。また、電池に水が掛かってショートしたり液漏れしたりする可能性もあります」

そこで折原氏は当初のアイデアをきっぱりと捨てて、現在のSUSTEEに至るアナログな製品へ方向転換した。

水を吸い上げる「芯材」開発に苦心する

そこからの道のりは困難の連続だった。折原氏がある研究機関の人に「こういう機能性のものを作りたいと思っている」と話すと、「変数が多過ぎて何年かかるか分からない」と言われたほどだ。

例えば「土」とひと口に言ってもありとあらゆるタイプの土がある。植物も種類によって一つ一つ特性が異なる。土壌菌と呼ばれる微生物は200万種類以上いて、素材に影響を及ぼす。それら全てに対応する必要はないにしても、計算で答えを出そうとすること自体が難しい。

しかし、どうにかして手がかりをつかもうと、折原氏はまず芯材になりそうな素材をいろいろと集めてみた。たこ糸やガーゼなど綿製品、いろいろな種類の化学繊維、アルパカの毛なども取り寄せた。狙いは、「ちょうどpF値が有効水分域の時にインジケーターの色が白くなるように水を吸い上げる芯材」を探し当てることだ。

また、SUSTEEは繊維の毛細管現象を利用するため、繊維の密度によっても水の吸い上げ方が変わってくる。さらに、土の中には枯草菌など繊維を分解する微生物がいるため防腐処理を施す必要があるが、この防腐処理の度合いによっては適度に水を吸い上げなくなる。また、防腐剤を纏着(てんちゃく)するための結着剤であるバインダーの量によっても結果が変わってしまう。

「素材」とその「密度」「防腐剤の濃度」「バインダーの量」を変数とした無数の組み合わせの中で、どのパターンなら有効水分域で色が変わるようになるのか、かつ枯草菌に分解されずに長持ちするのか。データを取るために、細いチューブ状のABS樹脂を買ってきて中にさまざまな繊維を入れ、土に挿して実験していった。

あらゆる組み合わせのデータを取り、最適な組み合わせを探した。(写真提供:キャビノチェ)

さらに、外装側でも調整が必要なものがあった。土に挿す部分にある吸水口と、インジケーター付近にある水を蒸散させるための2つの穴の面積だ。この面積が大き過ぎたり小さ過ぎたりすると、ちょうど有効水分域の範囲で色が変わらなくなってしまうのだ。

加えて、製品化に当たって芯材にある程度硬さを持たせる必要もあった。製造過程において細長い外装に芯材を差し込む際、柔らかいと上手く入っていかないからだ。試しに洗濯糊を使って固めてみたものの、吸水性が阻害されることが分かり、最終的には芯材を水だけでより合わせることにした。

「複数の変数が複雑にトレードオフの関係になっていて、一つ調整すると上手くいっていたものがダメになる。機能性、耐久性、生産効率のせめぎ合いの中で開発を進めました」と折原氏は振り返る。

気が遠くなるような実験を年単位で繰り返した末に、SUSTEEの機能を実現するための素材と加工方法、構造を導き出した。これらのノウハウは全て特許を取得している(特許番号:5692826)。芯材はその後も改良を重ねており、いま出荷しているものは第6世代に当たる。開発は第9世代まで進んでいるそうだ。

ポリカーボネートによる長物の一体成形

製品化に向けて、高いハードルがもう一つあった。それは、外装の成型だ。外装は素材にポリカーボネートを用いている。ある程度の硬い土にも挿すことができる強度と、暑さや寒さ、紫外線への耐久性を求めての選択だ。しかし、ポリカーボネートは粘性が高いため、SUSTEEのような細長い棒状のもの、しかも芯材が入るように中空にして一体成形することが非常に難しかったのだ。

折原氏が手に持っているのはLサイズのSUSTEE。

折原氏は半年くらいかけて関東中の工場を訪ねて回り、この加工ができるところを探したが、ことごとく「この長さの加工は無理」と断られてしまった。そんな中、たまたま訪れた会社の担当者が植物好きな人で、社長にかけ合ってくれた。

「社長にお会いしたら、『折原くん、ここの工場はどうだった?』と聞かれたので、『この工場はこういう理由で技術的に難しいと言われてしまいました』と経緯を説明しました。同じ質問をいくつかの工場について聞かれ、一つ一つ断られた経緯を答えると、『君は十分回ったね。いいよ、うちでやってあげる』と言われ、加工を引き受けてもらうことができました」

その会社は創業から50年以上にわたり、ボールペンなどのパーツなどを製造してきた実績のある会社だ。そんな会社ですら、金型を見た現場社員が「どうして引き受けたんですか!」と社長に詰め寄るほど一筋縄で行かなかったそうだが、4カ月ほどかけてポリカーボネートの一体成形に成功する。

完成したSUSTEEは、2014年2月に東京で開催された「世界らん展」で初めて販売され、世界にデビューした。

プロダクトデザイナーの中林鉄太郎氏がデザインしたSUSTEEは、世界的なデザインアワードであるレッド・ドット・デザイン賞を2014年に受賞、続いて2015年にはグッドデザイン賞も受賞している。その審査の過程では、美しいデザインとともにポリカーボネートで一体成形した技術が高く評価された。

起業する前は飛行機のパイロットだった

キャビノチェの創業は2013年年7月。それ以前、折原氏は飛行機のパイロットだった。子どもの頃からパイロットに憧れていた──そんなストーリーを想像してしまいそうだが、折原氏の場合はそうではなく、大学を出て就職のタイミングで「サラリーマンではないものになりたい」という思いから、パイロットとして就職した。

しかし、実際になってみると訓練は非常に厳しいもので、管制塔からの英語での指示、複雑で膨大な手順を1つとして間違えられないことの精神的なプレッシャーも大きかった。

「飛行機が心から好きな人っているんですよね。飛行機を見ているだけでも楽しいし、触っているだけでうれしいという。そういう人にとって訓練は苦ではない。僕も飛行機は好きですけど、そこまでではありませんでした。将来、10年、20年とこの仕事を続けられるだろうかと自問した時、もっと自分に向いていること、楽しめることがあるのではないかと考え、別のキャリアを模索しました」

そうしてたどり着いたのが、「プロダクトデザイン」と「植物」という2つのキーワードだった。

「小さい頃からものづくりが好きで、中学生の頃にはぼんやりと『プロダクトデザイナーになりたい』と思っていました。ただ、どうすればなれるのかは分からなかったし、絶対なるぞという心持ちでもなかった」

そうやって自分の生きる意味や将来に思い悩んでいた折原氏は、ストレスから過呼吸になってしまった。その時にかかった医者に、「気晴らしになるような趣味を見つけなさい」と言われたのだそうだ。

「祖父が梨農家で畑を持っていたので、その一角を借りてハーブを育て始めました。もっと小さい頃は大阪に住んでいたのですが、神戸にある布引ハーブ園でシナモンの表皮を拾ったのが、ハーブに興味を持ったきっかけです」

ハーブの栽培は中学生にしては本格的で、多いときは数十種類、自分1人では使い切れないほどのハーブを育てるようになった。しかし、冬の寒さを逃れるためにハーブを畑から鉢に植え替えて室内で育てていた時に、水をやり過ぎて枯らしてしまうことがあった。その時の「どうして枯らしてしまったんだろう」という思いが、SUSTEEという製品へとつながっている。

世界共通の悩みを解消、植物を育てる楽しさを広げる

SUSTEEは、S/M/Lの3種類、カラーバリエーションはグリーンとホワイトの2種類を用意している。また、芯材は防腐処理をしているとはいえ6〜9カ月ほどで色が変わらなくなってしまうため、交換(リフィル)用に、芯材のみの販売もしている。

海外にも展開しており、販売実績のある国/地域は35以上になる。これまで累計300万本以上を販売し、2021年の1年間では約120万本売れた。2014年の発売当初は、Lサイズを1本1500円で販売していたが、数が出るようになった現在は600円ほどにまで価格を下げて提供している。

SUSTEEはプロの栽培農家にも使われているが、中心となるのは個人ユーザーだ。これまで、一般的に園芸を趣味とする年齢層は40代後半以上が中心だといわれてきた。しかしコロナ禍以降、自宅で過ごす時間が長くなったことにより観葉植物への関心が高まっているそうだ。特に若い人たちの間で人気が広がっており、「今までの園芸の世界とは違うところでムーブメントが起き始めている」と折原氏は話す。

開発を始めた頃はデジタルデバイスを志向していたが、「スマホアプリなんか使いたくない」と言われてアナログな製品に方向転換した。

「その時はやはりショックでしたが、同時に『使う人を選ぶ』製品はよくないなとも思いました。子どもから80歳、90歳の方まで、専門的な知識がなくても使える、国を超えて広く愛される製品のほうがいい」

そんな折原氏の思いがSUSTEEという製品になり、世界中で受け入れられている。

下肢障害者のための立って乗る車いす「Qolo」はモビリティが持つ「自由さ」を体現する

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

人はいろいろな理由で車いすを使う。手術後など一時的に使うだけの場合もあるが、事故による脊髄損傷、脳卒中など病気による体のまひ、加齢による筋力の衰えなどで日常的に乗らなければならなくなるケースも少なくはない。車いす中心の生活を送る下肢障害者に「立ち上がって生活する自由」を届けるべく「立って乗る車いす」を開発する筑波大学発スタートアップ、Qolo株式会社の代表取締役 江口洋丞(えぐち ようすけ)氏にインタビューを行った。(撮影:加藤タケトシ)

足が不自由な人が立って車いすに乗るのはなぜか

以前fabcrossで、足でこぐ車いす「COGY(コギー)」を紹介した。その時は「足が不自由な人が乗るはずの車いすを、どうして足でこぐのか」という疑問が出発点だった。今回、立って乗る車いす「Qolo(コロ)」を見て湧いた疑問は、「座っていれば楽なのに、どうして立って乗るのか」だ。

その疑問に対して江口氏は、「足が不自由だからといっても、座りっぱなしでいることはデメリットがものすごく大きいから」だと話す。

Qolo代表取締役 江口洋丞氏。

デメリットの大きなものの1つは、血の巡りが悪くなってしまうことだ。例えば飛行機などの狭い座席で長時間同じ姿勢でいると、たいていは居心地が悪くなって無意識にモゾモゾと体をずらしたりするだろう。しかし下肢がまひしている人は、居心地が悪いという感覚もなければ足を動かす筋肉も使えないため、それができない。すると、うっ血して血液が固まり、血栓や褥瘡(じょくそう=床ずれ)を起こしてしまうことがある。

デメリットの2つ目は、骨が弱くなってしまうこと。骨に応力がかからない状態が長く続くと、どんどんもろくなってしまうのだ。そのため、他の人や機械の力を借りてでも「立った姿勢」になることは、骨に力をかける意味でとても大事なことなのだ。

その他にもさまざまな理由から、足が不自由であっても定期的に立ち上がることが良いとされている。しかし何年も、毎日それを継続するのは簡単なことではなく、骨折や床ずれで入院を繰り返す人が少なくないという。

立ち上がることの健康面/機能面/精神面への好影響

健康を維持する以外にも、「立ち上がること」は身体機能や精神面にも貢献する。

身体機能への貢献とは、例えば立ち上がったほうが視界が広がる、高いところに手が届くなど、活動の自由度を高めるという意味だ。立ったままで無理なく動き回れるようになれば日常生活を送る上で行動範囲も広がるし、就労の機会が増え、できる仕事の幅を広げることにもなる。

精神面への貢献というのは、人としての尊厳を守るということだ。車いすに乗っている人が誰かと立ち話をする際、立っている相手が2人、3人と増えるにつれて、視線の高さが合わず会話に入りにくくなったり見下されているような感覚になったりするという。海外では「ハグできない/しにくい」という機能面の問題がコミュニケーションを阻害することもある。「立ち上がること」が精神面に及ぼす好影響は、けして小さくないのだ。

「筑波大学での研究から生まれた中核技術を用いて、足の不自由な方の健康面、機能面、精神面へ貢献し、ひとりでも多くの人に、望めば立ち上がれて、潜在力を発揮できるようになる世界を目指しています」と江口氏は話す。

「ばね」で立ち上がりを支援する

ここからは、Qoloがどのような仕組みで起立を支援しているのかを見ていこう。

立って乗る車いすを開発したのは、Qoloが初めてというわけではない。有名なところでは、スウェーデンのペルモビールというメーカーの車いすがスタンディング機能を搭載している。ただ、そういうものはモーターで起立をアシストするものが多い。それらは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)などのように進行性で全身が動かなくなる病気の患者の使用を想定しているためだ。使う人が自分で体を動かせる部分が少ないため、座る、寝る、立つなどさまざまなバリエーションの姿勢を車いすの側がサポートする必要がある。できることが多いぶん構造が複雑になり、価格も高くなる。

対して、Qoloの起立をアシストする機能には電気を使っておらず、機械的な仕組みで実現しているのが特徴的だ。ちなみに移動(走行)のための動力源は電気で、モーターで走り、手元のスティックで操縦する。

「多くの車いすユーザーは体を動かせる部分が残っています。動かせる部分を使いながら、いかに今までと同じような感覚で立ち上がれるか。私たちはそこに研究の意義を見いだしてやってきました」

Qoloが起立をアシストするのに用いているのは「ばね」である。より正確にいうと、圧縮されたガスの圧力を利用したガススプリングを使っている。自動車のハッチバックドアの開閉部などに使われる部品だ。反発力が強く、1本のガススプリングで100kg程度のものを持ち上げる反発力を持つものもある。

足の間に2本見えるのがガススプリングだ。座った状態の時はスプリングを圧縮した状態でロックする。立ち上がる時は、ロックを外すことでスプリングの伸びようとする力が解放される。すると、膝の部分にある回転軸を中心に膝を伸ばそうとする力が発生する。

それと同時に膝の回転軸まわりに座面が上がって立つ姿勢を支えるように動くので、胴体の傾きでバランスを取りながら立ち上がることができるのだ。シンプルな構造で動作も速い。逆に座る時は、座面に体重をかけながらスプリングを圧縮していく。

200万通りの設計をシミュレーション

出来上がったものを見ると簡単な仕組みのように思える。しかし江口氏は、「どのような力/特性を持つばねを使うか、それをどの位置に取り付けるかの調整が、実は難しい」と話す。さらに、乗る人の体の各部位の長さや重さ、どれくらい胴体を前や後ろに倒せるかによっても調整の仕方は違ってくる。

「いすに座っている人の額を指で押さえると立てなくなる話は有名ですが、まさにその話の通りで、立ち上がるためには最初に胴体を前へ倒す動作が必要です。その動きをきっかけに、お尻で荷重を支えていた状態から、足の裏で荷重を支える状態へシフトします。立ち上がる動作って、すごく複雑で奥が深いんです。この動きを、どうすれば人間らしい振る舞いで立たせられるかの研究に、かなり時間を使いました」

最初は、目指すべき立ち上がり方のモデルをコンピューター上で作った。障害を持っている人は胴体を前後に振れる幅が特に少なく、深く倒すと支え切れなくて倒れてしまうため、無理なく胴体を倒せる角度に収まるような立ち上がり方をモデル化した。

その後は、モデル通りの動きで立ち上がるためにはどのようなアシスト力が必要かを探っていった。ばね定数や反発力など、どのような特性を持ったスプリングを使うとよいのか。スプリングを車いすに取り付ける両端と、膝のところにある回転軸の3点の位置関係をどうすべきか。およそ200万通りの組み合わせをコンピューターでシミュレーションし、評価していったのだという。

スプリングの反発力を適切な支援力に生かす設計を探った。

そうやって最適なパターンは見つかったものの、身長や体重は人によってバラバラだ。そのバリエーションに対応するため、ガススプリングの片方の取り付け位置をスライドして調整できるようにしたのが最新の試作機だ。

モビリティとしての気持ちよさを追求するフェーズへ

今回の取材で見せていただいた試作機は、会社設立後初めて作ったもので、2012年に筑波大学で研究を始めた時から数えると5台目だ。この試作機は、スプリングが伸びて立位になると、連動して後輪が前にスライドして前輪との幅が縮まる仕組みになっている。

座位から立位になると、前輪と後輪の距離が縮まる。

「この機構のおかげで、今までで一番小回りが利く試作機になりました。前までの試作機は車体が前後に長くて小回りが利かず、室内で使い物にならなかったのです。そのぶん安定性は高く、急な坂でも倒れず立って登れるほどでしたが、その必要性と室内での小回りとどちらが大事なのかを考える上で、今回の試作機では小回りのほうに振ってみた形です」

また、前の試作機は旋回するときの回転軸が乗っている人の頭の位置から離れていた。そのため、立位で旋回する時には振り回されるような状態になっていたのだ。そこで今回の試作機では、立っていても座っていても機体の旋回中心と頭の位置をほぼ同じにし、旋回する時は自分を軸に回っていると思えるような操縦体験を目指したのだという。

江口氏は、「それが良いのか悪いのかは、車いすユーザーに試乗してもらって検証しなければ」と慎重ながら、「自分が乗ってみた限りでは、前のモデルよりも相当操縦がしやすくなりました。日常生活で使うことを考えた時にどういう構成が良いのか、モビリティとしての使い勝手や快適さを追求する段階にようやく差し掛かってきた感じです」と評価する。

人はモビリティで自由を手に入れる

江口氏は、子どもの頃から自動車の開発エンジニアになりたいと思っていたそうだ。

「生まれ育ったのは埼玉で、自動車がないとどこにも行けないようなところだったので、バイクとか自動車は自由の象徴でした。手にすることでものすごく大きな力を持てる、みたいな。バイクや自動車を運転する楽しさの正体は何なのだろうと思いながら、それを再生産できるようなエンジニアになりたいと思ったんです」

中学卒業後は、高専の機械工学科へ進学。高専時代は、1Lのガソリンで自動車をどれだけ走らせられるかを競うエコランの部を立ち上げて活動したり、卒業研究では自動走行するロボットを作ったりもした。自動走行の研究は面白かったが、「モビリティから感じる自由や楽しさ」とは少し違う方向性だとも感じていた。

「人の身体能力を拡張し、自由で楽しい気持ちにさせるモビリティにはどのような要素が備わっているべきなのか」という疑問への答えは見つからないまま高専を卒業し、2011年に筑波大学へ3年生として編入する。

Qoloの研究を始めたのは、大学4年で配属された人工知能研究室でのことだった。江口氏は当初モビリティについて研究したいと考えていたが、研究室の鈴木健嗣教授から「気持ちよく動き回るモビリティ自体の研究は他でも多くされている。でも、そのもっと手前、人間が移動しようとする時にまず立ち上がる、そういう根源的なところから研究している人はあまりいない」という話をされたそうだ。

「ちょうどその頃、祖母が転んで骨折し、歩きづらくなってしまったんです。習い事もできなくなりましたし、家事を完璧にする人だったのですがそれもできなくなってしまった。その様子を見て、立ち上がれることは思っている以上に大きな意味があるのだと感じました」

そこから、立ち上がる動作をアシストする仕組みを卒業研究のテーマにして、現在のQoloの原型となるパーソナルモビリティの開発に取り組んでいった。

最初に作った試作機は、2014年に国際デザインコンテスト「ジェームズダイソンアワード2014」の国際選考で準優勝に輝いている。この時は、普通のいすに座った状態からの立ち上がりを支援し、立位でのみ移動できる座面がついていないパーソナルモビリティだった。

夢だった自動車エンジニアになるも期せずして再び研究の道へ

修士課程を修了した江口氏は、自動車メーカーにエンジニアとして就職した。立って乗る車いすの研究は区切りを付け、夢だった自動車エンジニアの道へ踏み出したのだ。

しかし3年経とうとした頃に転機が訪れる。修士課程の時に提出し、その後リバイスを続けていた論文が学術誌に受理されたのだ。これにより、筑波大学が社会人向けに設けている博士課程「早期修了プログラム」の審査要件が満たされた。このプログラムは、通常3年の博士課程を会社に勤めながら1年で修了できるもので、論文が受理されたのはこのプログラムのエントリー締め切り2週間前のことだった。

不意に訪れた事態。江口氏は「Qoloはやり残した部分がある。1年で成果としてまとめて、悔いのない形で研究を終わりにしよう」と考え、早期修了プログラムに飛び込んだ。

「自動車会社での仕事も楽しく、充実していました。でも大学で再びQoloに携わるようになると、自動車の開発とは違う楽しみがありました。また、実験に協力してくださる車いすユーザーの方たちとコミュニケーションを取っていく中で、『Qoloを本当に必要としてくれているんだ』と感じ、背中を押されているような気持ちも湧いていました」

そうして会社と大学、二足のわらじで1年間を過ごし博士号を取得した江口氏は、2019年春に会社を退職。筑波大学の研究員となった。

またその頃、トヨタ・モビリティ基金がイギリスのNPOであるNestaと実施するコンテスト「トヨタ・モビリティ・アンリミテッド・チャレンジ」に、筑波大学チームQoloとしてエントリーしていた。下肢まひ者の移動の自由に貢献する革新的な補装具の実現に向けたコンテストだ。世界中からエントリーがあった中、チームQoloは最終候補5チームの1つに選ばれ、製品化に向けた試作機の開発費用を勝ち取った。

トヨタ・モビリティ・アンリミテッド・チャレンジにエントリーした3代目の試作機。

レンタルでの提供を想定、2026年にはアメリカでの展開も視野

「その後2年間は試作機をひたすら作りました。コロナ禍で大変な時期もありましたが、実験に協力してくださる被験者の方の裾野も広がりました。ここで自分が止めてしまうと終わりになってしまいますし、もう少し頑張ったら良いものになるんじゃないかというチームの空気もあって、2021年4月にQolo株式会社を設立しました」

江口氏が代表取締役を務め、現在は取締役2名、社外取締役1名という組織構成で、さらに医学、工学、事業開発の各専門家を社外のアドバイザーに迎えている。ほかアルバイト2名と、エンジニアリング系の試作や工業デザインなどの部分は業務委託でパートナーとともに開発を続けている。

2021年8月には、DEFTA Partnersと提携して6000万円の資金調達を実施したほか、広沢技術振興財団や厚生労働省などからの助成を受けている。また2022年9月には、日本貿易振興機構(JETRO)のスタートアップ企業海外進出支援プログラム「SCAP(Startup City Acceleration Program)」の参加企業として採択され、海外展開に向けた準備を進めている。

ビジネスとしては、初期製品は販売ではなくレンタルでの提供を考えている。最初は個人ユーザー向けではなく、医療機関や障害者を雇用する企業などを対象に想定しており、2023年後半のサービスインを目標としているそうだ。また、2026年度にはアメリカでの提供開始をマイルストーンに置き、さらなる改良を重ねていく予定だ。

初めは自動車やバイクからモビリティの「自由に動き回れる楽しさ」を感じて研究開発の道を歩き始めた江口氏。これからは、足の不自由な人たちのために「立ち上がって生活する自由を」という会社のビジョン実現を追い求めていく。

筑波大学キャンパス内の産学リエゾン共同研究センター棟の一室がQoloのオフィス。緑豊かなキャンパスを試走することもあるそうだ。

モビリティ、工場、医療、海洋など幅広いシーンで活用が広がる「ワイヤレス給電」の現在と未来

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

遠出する際にはかばんにPC用、スマートフォン用、カメラ用それぞれの充電アダプタとケーブルを入れて出かける。そしてその度に、私たちの暮らしが電気に強く依存していることを再認識する。しかし近年、無線で電気を供給する「ワイヤレス給電」がさまざまな場面で用いられるようになった。ケーブルなしで充電できるスマートフォンが増え、ワイヤレス給電が身近になった人も多いのではないだろうか。

このワイヤレス給電に40年近く前から取り組んでいるビー・アンド・プラスの亀田篤志社長に、ワイヤレス給電を実現する仕組みや、私たちの暮らしや社会をどのように変え、価値をもたらすのかを聞いた。(撮影:加藤タケトシ)

ワイヤレス給電は私たちの暮らしをどう変える?

ビー・アンド・プラスは、埼玉県比企郡小川町に本社を置く従業員数90名ほどの会社だ。今回の取材では、大宮にある同社のWPT(Wireless Power Technology)応用技術センターを訪ねた。通された部屋の壁際にはさまざまなワイヤレス給電の製品や試作品が並べられており、さながらワイヤレス給電のショールームだ。

この記事の一番上にある写真、テーブルの上にあるグラスや円錐型のライトなどが光っているのが分かるだろうか。実はこのテーブルの天板部分には送電のためのコイルが仕込まれていて、テーブルに載せたものへワイヤレスで給電しているのだ。

他にも、ビー・アンド・プラスのYouTubeでは家庭でのワイヤレス給電のさまざまな活用例を紹介している。


「ちょっと未来のワイヤレス給電のある生活」を提案


心つながるワイヤレス(魔法のステッキ篇)

モビリティ領域への活用が広がる

現在、ビー・アンド・プラスは「ワイヤレス給電で世界一」という目標を掲げている。ワイヤレス給電をどうやって社会に生かすかを独自に企画するほか、幅広い業界の企業/団体から寄せられる「ワイヤレス給電でこんなことができないか?」といった引き合いに対して技術/製品開発で応えており、それら数々の導入事例は、同社のWebサイトで公開されている。

中でもいま実用化が進んでいるのが、電動アシスト自転車や電動キックボードなどのモビリティの領域だ。これらのモビリティは個人所有も広がっているが、シェアサービスとしても世界中で導入が進んでいる。自転車やキックボードを駐車してあるポートが街中に数多く設置され、好きなポートで借りて行き先に近いポートへ返却できる手軽さが人気で注目されているサービスだ。

ただ、シェアサービスの電動モビリティは、常に使えるようにバッテリーに充電しておかなければならない。そのため従来は、バッテリーの交換業者が車でポートを巡回してバッテリーを交換したり、自転車やキックボードを回収してまとめて充電した後ポートに再配置したりする手間とコストが生じていた。

ビー・アンド・プラスが開発した電動モビリティ向けのワイヤレス給電システムでは、自転車やキックボードをポートの所定のラックに置くだけで、備え付けられた送電部から乗り物側の受電部へワイヤレスでの充電が可能になる。屋外にあるポートは雨で濡れることもあるが、ビー・アンド・プラスのシステムは非接触なので漏電などの心配もない。

さらに、太陽光パネルと蓄電池をポートに併設することで、電源に自然エネルギーを活用する方法を採用するケースも増えてきている。バッテリー回収/交換が不要になることと合わせて、CO2削減にも貢献する取り組みだ。

こうしたことが可能になれば、電気自動車(EV)の充電にもワイヤレス給電を適用することも考えられる。すでに車庫や駐車場の地面にコイルを埋め込んで、ワイヤレスで充電を可能にするシステムの開発を進めている企業もある。

研究分野では、大学と企業が連携して走行中ワイヤレス充電の研究/実証実験を進めているケースも見受けられる。道路に送電設備を埋め込んで、走りながらどこでも給電できるようにしようという構想だ。

ただ、「特区」的に地域を限定して走行中ワイヤレス充電のための設備を敷設することは可能かもしれないが、そのための工事にかかるコストは膨大で環境負荷も大きい。企業が投資の一環として未来都市のようなものをつくるのは自由でも、国費を使って行うことについて亀田氏は否定的だ。

「1人1台クルマを持つ世界を実現しようとするよりも、シェアリングサービスの活用をもっと広げたほうがいい。ちょっとした移動はキックボードや自転車を使い、もう少し遠出する場合はシェアサービスのEVを使う。観光スポットなど要所に充電設備を置いておけば、今よりも少ない電池容量で十分だと思います。そうするとEVの電池が小型化できて、充電時間も短くなる」と、亀田氏はシェアリングサービスの可能性を評価している。

水中や人体内部のデバイスへの給電も可能に

ワイヤレス給電の強みが発揮されるのは、給電のための接点を作るのが難しい場所にある機器に電気を伝送する場合だ。

その代表的なケースに、水中での給電がある。従来は、海中や海底にある設備の蓄電池に充電しようとすると非常に高価なケーブルが必要になり、またそれを海中で接続する工事はかなり大掛かりなものにならざるを得なかった。

2020年、海洋研究開発機構(JAMSTEC)が行う次世代海洋資源調査技術開発プロジェクトにおいてビー・アンド・プラスのワイヤレス給電技術が採用された。このプロジェクトは日本の海底に眠る新たな鉱物資源の調査のための技術開発を目指すもので、資源探査のための海中ロボットや環境影響評価のための装置の開発/実証を進めている。

「これらロボットや装置にはバッテリーを搭載していますが、水中で物理的な接点を作って充電することは難しい。そこで、送電するための電池を積んだドローンを海底1600mまで降ろしてワイヤレスで給電を行い、情報をやり取りして海上へ戻って来させる実証実験を行いました」

水中へのワイヤレス給電のサンプル。水槽上部のコイルに通電すると、水中にある金魚のおもちゃにワイヤレスで電気を送る。

接点を作ることが難しい場所は他にもある。人の体内だ。

がんの治療法の1つに「光免疫療法」という、光でがん細胞を破壊する治療法がある。がん細胞のみに付着する、光に反応する薬剤を投与した後、その薬剤に光(近赤外線)を照射することで、薬剤が光に反応してがん細胞だけを破壊するものだ。アメリカの国立衛生研究所(NIH)の主任研究員として活動し、2022年4月に関西医科大学光免疫医学研究所の所長に就任した小林久隆氏が開発した治療法で、2020年9月に世界で初めて日本で承認され、2021年1月には保険適用対象となっている。

この光免疫療法において、光の照射方法の1つとしてビー・アンド・プラスのワイヤレス給電を用いた実験が北海道大学と共同で行われたという。


体内に入れるため、いかに小さくするかが課題だった。

これ以外にも、体内に埋め込む医療機器はさまざまなものがあるが、従来は電池を使うタイプのものは定期的な電池交換が必要で、その度にリスクがあった。そのような医療機器にも、ワイヤレス給電なら体を傷つけることなく充電できるようになる。

「医療分野でのワイヤレス給電の活用には、特に大きな関心を持っています。私たちの技術で人が健康になる可能性を少しでも高めることや、医療の進歩に貢献することはとても意義深い」と、亀田氏は医療分野への取り組みに意欲的だ。

ワイヤレス給電はどのような仕組みで実現しているのか

こうしたワイヤレス給電は、どのような仕組みで実現しているのか、簡単におさらいしておこう。

「ワイヤレス給電には大きく分けて3つの方式があります。電磁誘導方式、電界結合方式、マイクロ波方式の3つです」

小学校の理科の時間に、電磁石を作る実験をした記憶があるのではないだろうか。エナメル線をぐるぐる巻いてコイルを作り、そこに釘などの鉄心を入れて電流を流すと磁石になる実験だ。あれは、コイルに電流を流すとその周囲に磁界が発生する「右ねじの法則」を利用したものだ。

電磁誘導方式のワイヤレス給電も、この原理を使う。コイルAに電流を流して発生した磁界をもう1つの別のコイルBが通過すると、コイルAの周りに発生した磁界を受けてコイルBに誘導電流が流れる。このとき、コイルBはコイルAに接触することはない。こうして電気を伝送するのが、電磁誘導方式だ。スマートフォンのワイヤレス充電で使われているQi(チー)という規格もこの方式だ。

送電コイルに電流を流すと磁界が発生。その磁界を受電側コイルが受けて誘導電流が流れる。基本的にコイルが大きいほど電力は大きく遠くまで飛ばせる。

電界結合方式は、コンデンサーと同じ原理を使う方式だ。絶縁層(空気)を挟んだ送電側と受電側の電極に高周波の電流を流し、電極同士が近づいた際に電界を介して電力を伝送する。

マイクロ波方式は、電波受電方式とも呼ばれる。電流を電磁波に変換して電力を伝送し、受電側で電磁波から微弱な電力をうまく受け取って使う方式だ。距離が離れていても伝送できるのが特徴だが、取れる電力がmW単位と非常に小さい。伝送効率やアンテナの大きさなどに課題がありまだ実用的ではないが、近年研究が進んでいる分野だ。

「現在、この3つの中では電磁誘導方式が主流です。当社では電磁誘導も電界結合もマイクロ波も全部やっています。大学で複数の研究室がそれぞれ別の方式を研究しているところはありますが、1つの企業で全部の方式にトライしているのは、日本では恐らく当社だけでしょう」と亀田氏は自負を覗かせる。

当初は工業用途向けにワイヤレス給電の開発を始めた

「当社の創業は1980年で、1984年にワイヤレス給電をスタートしましたから、もう40年近くやっています」と亀田氏は話す。

ビー・アンド・プラスはドイツのセンサーメーカーBALLUFFとの共同出資により「日本バルーフ」として創業。近年まで「ファクトリーオートメーションのセンサー会社」という打ち出しだった。

今も昔も、工場は電子機器の発展による自動化/省人化を目指す世界だ。工場の自動化が進むと、同時に機械とセンサーをつなぐコネクターの箇所が増える。コネクターは抜き差しを何万回と繰り返すうちにピンが折れたり、電気的接点に酸化皮膜ができて通電しにくくなったりして、接点でのトラブルが増えてくる。

実際に顧客から「接触式のコネクターだとトラブルが多いので非接触のコネクターのようなものできないか?」という要望を受け、電磁誘導を用いた近接センサーを開発していたことから、同じ電磁誘導の原理を用いるワイヤレス給電の開発をスタートしたのだった。

「特に自動車の工場では、ラインに水や油があるため、むき出しの電極に水や油がかかったり、そこに埃が付着して詰まったりすることが多い。だから、近づけるだけでよいワイヤレス給電は、自動車メーカーさんでは昔からよく使っていただいています」

物理的な接点があることで生じるトラブルにかかるコストと、作業改善、品質の安定、省人化などのメリットを勘案すると、無接点で、近づけるだけで電気を送れるワイヤレス給電のニーズは製造業の現場において非常に高い。

取り組み始めた頃のワイヤレス給電は、センサー1個を動かすためだけの電気を送れれば十分だったため、1Wにも満たない非常に小電力で、センサーからの信号も同時に送っていた。しかし導入が進むと、顧客から「もっと大きい電力が欲しい」「こういう機能が欲しい」という要望が出てきて、それらに対応するうちに送る電力も増大し、ワイヤレス給電の製品の幅も広がっていった。最近では工場内を動き回る無人搬送車(AGV)の導入が増えるのに伴って、AGVへのワイヤレス充電に関する引き合いも多いそうだ。


電気は目に見えないが、AGVなど機械の動きにセリフを付けることで、どこでどのようにワイヤレス給電が行われているのかを分かりやすく説明している。

リーンスタートアップで着実に前へ進める

亀田氏は、北海道大学大学院量子集積エレクトロニクス研究センターで修士課程を修めた後、デンソーへ就職する。2年勤務した後、トヨタ自動車へ出向。そこで2年経った頃、転機を迎えた。

もともと起業志向があった亀田氏だが、ワイヤレス給電自体が「世の中でできなかったことを実現する技術」であり、すでに築かれた土台の上で世界を変えていくことも大きな挑戦だと考え、2007年に父親が創業したビー・アンド・プラスへ入社する。2015年には代表取締役社長に就任した。その頃、ワイヤレス給電は工業用の分野でじわじわ広がっていたが、社長に就任を機に工業以外の分野も含めて広くワイヤレス給電で世界一を打ち出した形だ。

「当社はいま、『リーンスタートアップ』に力を注いでいます」と亀田氏は話す。

リーンスタートアップはソフトウェアやWebサービスなどの開発ではよく使われる手法で、必要最小限の機能に抑えた試作品(MVP=Minimum Viable Product)の開発を短期間で繰り返しながら、よりよいプロダクトを探るものだ。

ビー・アンド・プラスでは、それをハードウェアの開発に取り入れている。ワイヤレス給電のような新しい技術は試行錯誤を積み重ねて構築するものであるためだ。

「ワイヤレス給電は、『理想』と『現実的にすぐできる解』が違うことが多いんです。例えば、お客さんの要望を全て満たすと想定したサイズに収まらないこともよくあります。理想と現実の間の溝を埋めつつ、良い着地点にしていくのが難しいところです。お客さんの要望をそのままは実現できなくても、求めるものに近いメリット、付加価値をどうやって入れるかがポイントです」

このやり方を2015年から続け、累計で300社近く、500件以上の案件を進めてきた。先に紹介した、電動モビリティ向けや海底でのワイヤレス給電などの事例もこの中に含まれる。

「当社は開発やあらゆるレスポンスが、他のメーカーさんよりも早い自信があります。何かを開発検討しようとなったら普通は簡単なものでも数カ月見積もるところを、うちは数週間、早いものでは1〜2週間でやります」

そうすると目に見える進捗が生まれるため、顧客側の担当者も依頼しやすいのだそうだ。

「技術的には、これまでたくさんの製品を開発しているため試作に流用できる開発資源が数多くあること、それから技術者が経験豊富なため対応力が高いことがあると思います。また、組織がコンパクトなので、何かあればすぐ相談してその場で判断できるのも大きいでしょう。仕事って溜めるとどんどん詰まるので、さっさと手放していくほうがよいとみんなが知っている」と、亀田氏はその開発スピードの理由を説明した。


リーンスタートアップの取り組みについて、顧客の声を交えて詳しく紹介している。

工業分野“以外”へワイヤレス給電を広げるために

ビー・アンド・プラスでは、YouTubeでの情報発信も熱心に行っている。一番古いものは2011年にアップされた動画だが、「ワイヤレス給電で世界一」を打ち出した2015年以降は更新が活発化。特にここ1年の動画は、楽しみながらワイヤレス給電について理解を深められる動画が増えてきた。

「以前は技術そのものに関する発信が多かったんです。でもそれは工業向けには通じても、それ以上には広がらない。世界一になろう、工業以外にもワイヤレス給電を広げていこうとしたら、発信の仕方を変えなければと考えました」と亀田氏は話す。

工業以外の人、技術に詳しくない人でも、ワイヤレス給電によって何ができるようになり、何が良くなるのかをイメージしやすい発信にしよう──そう考えて作られた動画の一部が、冒頭で紹介した家庭でのワイヤレス給電を提案する動画だ。

以前は、工業以外の業界の引き合いは断っていたそうだ。しかし、「ワイヤレス給電で世界一」を目指す方針を打ち出してからは、全てのワイヤレス給電に対応することに決めた。対象を広げて新しいテーマで事例を発信していくと、そのテーマの引き合いが増える。それに対応していくと、ビー・アンド・プラスとしてできることが広がっていく。技術開発と発信の両輪が、好循環を生んでいる。

「大学の先生や大企業は壮大な未来のビジョンを掲げますが、私は『未来はみんながつくっていくもの』だと考えています。だから当社は、いろいろなワイヤレス給電に取り組んで、とにかくものを作って、価値を体験してもらって、より良い未来をみんなに共有していくことを大事にしていきたい」と亀田氏は話す。

ワイヤレス給電によって、不便だったものが便利になる、できなかったことができるようになる、世の中に無かったものが新しく生まれる。世界を大きく変え得る技術への注目はますます高まっていくだろう。もしかしたら、あなたのアイデアが未来を形作る1ピースになるかもしれない。


手作り感あふれる動画が魅力。

子どもたちが試行錯誤を楽しみながら新しいモノやコトを創造する力を育む——組み立て知育玩具「TEGUMII」に込めた思い

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

「TEGUMII(テグミー)」というおもちゃをご存じだろうか。「組み立て玩具」といわれる種類のもので、国産MDF(中質繊維板)を使用したブロックのようなおもちゃだ。

クラウドファンディングサイトのCAMPFIREで2022年1月15日にプロジェクトを開始し、最初の1時間で目標金額30万円を達成。2月28日までの1カ月半で、最終的に約215万円もの資金を集めた。

「創る人を育む」という触れ込みで登場したこのTEGUMIIを開発するのは、2021年8月の設立当時名古屋大学の学生だった2人が立ち上げたエドギフトという会社だ。同社の共同代表取締役である越川光氏と村松美穂氏の2人に、起業に至った経緯やTEGUMIIを開発した狙いについて聞いた。(撮影:加藤タケトシ)

シンプルで奥深いTEGUMIIの根底にある思想

TEGUMIIのパーツは正方形、長方形、円形という基本的な形のパーツが5種類。薄くて硬い国産MDFから作られた板状のパーツには複数の溝が入っており、溝同士を直交させて差し込むことでパーツをつなぎ、いろいろな形のものを作って遊べる組み立て玩具だ。

恐竜、乗り物、家など、創意工夫でいろいろな形を作り出せる。

単純に遊んで楽しいだけのおもちゃだったら、クラウドファンディングで200万円以上にも及ぶ大きな支援を集めるには至らなかったかもしれない。

TEGUMIIのWebサイトを訪れると最初に目に飛び込んでくる「創る人を育む」という言葉は、エドギフトが掲げているミッションでもある。彼らの定義で「創る人」とは、「自ら考えて新しいモノやコトを生み出す人」のことだ。

失敗と成功を繰り返し、試行錯誤をした先に「新しいモノやコト」が生まれる。その度重なる試行錯誤の経験が、さらなる挑戦への意欲につながるはず。そのような考えが、TEGUMIIの根底にある。

「私たち2人とも、子どもの頃はその場にある限られたものでいかに楽しく遊ぶかを『試行錯誤』してきた経験があります。その辺で拾ってきた木の実や葉っぱを使ってネックレスを作ってみたり、牛乳パックでおもちゃを作ったり。そういう原体験があったからこそ、今私たちがいろいろなことに挑戦できていると思っているんです」と村松氏は話す。

エドギフト代表取締役 村松美穂氏

それと同じように、正解のないところに「試行錯誤」を重ねて何かを作る、成し遂げるということを、TEGUMIIで遊ぶことによって子どもたちに楽しみながら体験してもらいたい、そんな思いがTEGUMIIには込められているのだ。

ものづくりへの情熱と教育に対する強い思いから生まれたエドギフト

2人が共同代表としてエドギフトを設立したのは、2021年8月30日のこと。当時越川氏は名古屋大学経済学部に籍を置き、教育に関心があったことから名古屋の教育団体に所属して、教育イベントの企画・運営などの活動をしていた。

一方の村松氏は、同じく名古屋大学大学院工学研究科の修士課程で材料の研究をしていた。子どもの頃からものづくりが好きで、常に手を動かして何かを作っていたという村松氏は、宇宙への興味が強く、サークル活動でロケットの開発などをしながら子ども向けにロケット教室を開いていた。

2人が出会ったのは、越川氏が所属していた教育団体のイベントに村松氏が講師として呼ばれたときのこと。事前の打ち合わせで話したときから意気投合し、それぞれに「2人で何か面白いことができるんじゃないか」という予感があった。

「自分はずっと教育に関心を持ち続けて、教育に対する強い思いを持っていた。それと、村松が持つものづくりへの情熱がぴったり合わさった」と越川氏は話す。

エドギフト代表取締役 越川光氏

しかし意気投合したとはいえ、いきなり「一緒に起業しよう」とはならないのが普通だろう。具体的に起業へ向けて動き始めるきかっけとなったのは、村松氏が越川氏の行動力を目の当たりにしたことだった。

「もともと私は、ロケット教室を別の会社と一緒にやっていたのですが、事情によりその会社でのイベントができなくなってしまいました。ちょうどそのタイミングで越川と出会い、その話をしたところ、『ロケット教室をもう一度やろう。俺が一緒にやってくれる会社を探してくる』と言ってくれて。その3日後には、本当に一緒にやってくれる会社を見つけてきてくれたんです。『こいつすごい奴だな!』と驚き、一緒に仕事をしようと思いました」と村松氏は振り返る。

そのロケット教室を運営していく中で、いろいろな壁にぶつかった。例えば、受講者から参加費をもらう形にしていたが、ロケットを作るための材料費は安くはなく、参加費の額をどう設定すべきかといったお金の問題もその一つだ。

「自分たちの思いや教育を持続的に届けていくためには、ボランティアでは難しい。事業としてやっていくのが理想だと思うようになったことが、会社設立の契機です。だから起業当初はTEGUMIIを開発しようとは考えてはおらず、それまでやっていたロケット教室に近い、子ども向けのものづくりワークショップなど、ものづくりを絡めた教育イベントをメインの事業にしていました」(越川氏)

思いを載せて子どもたちに届ける「メディア」としてのプロダクトを

そうやってイベント事業を軸に立ち上がったエドギフトが、なぜ玩具を開発することになったのか。その経緯を、村松氏はこう話す。

「イベントも、子どもとじかに接する機会という意味では大事。でも、私たちの思いをもっと多くの人に届けるために、私たちが子どもたちに直接会わなくても届けられるようにしていきたいね、という話を越川としていました。じゃあどうすればそれを実現できるか。考えるうちに、全ての子どもが必ず一度は手に取るおもちゃでなら思いを伝えられるのではないかという発想に至りました」

単に遊んで楽しいおもちゃではなく、2人の思いを乗せて届けることができ、かつ教育的に意味のある知育玩具を作ろう──ここからTEGUMIIの開発が始まった。

できるだけシンプルなパーツ構成にするための試行錯誤

板を溝に差し込むタイプの組み立て玩具を作ることは、そこまでの過程でほぼ決めていたのだという。理由は、TEGUMIIの素材である国産MDFをワークショップで使っており、「これを使ってもっと発展的に遊べそうだ」という感触を得ていたからだ。むしろ悩んだのは、どのような形やサイズのパーツをそろえるかだった。

「いろいろな組み立て方ができる自由度の高いおもちゃにしたい思いがあった一方で、大人の意図をなるべく介在させず、子どもたちの試行錯誤を邪魔しないパーツのラインアップにしたい思いもありました」と村松氏は話す。

最初は20種類近い形のパーツを用意してみた。その後、クラウドファンディングを実施するまでの3カ月ほどの間に、形が違っても果たす役割が同じパーツはどちらか一つにするなどして7種類にまで絞り込んだ。現在は、さらに削ぎ落として5種類に落ち着いた。

5種類のパーツと人型。クラウドファンディング時は正三角形1種類と円形がもう1種類あったが、代用可能なものに絞り込んだ。

「この5種類さえあれば、思い描くほとんどの形を生み出せると思っています。逆に、これ以上パーツの種類を増やしても、表現できる形は増えていかない」と越川氏は話す。

パーツの形は1種類ずつ意匠権も申請しており、20×40mmの一番小さなパーツ2種類についてはすぐに意匠権を取得することができた。

こうした試行錯誤を経て厳選されたパーツのラインアップのおかげで、組み立て方や組み立てる順序によってイメージ通りに組み立てられないことがある。「パーツを差し込んでみてうまくいかなかったら、一度取り外して別の順序やパーツの組み合わせを試してみる。それを繰り返すことで、プログラミング思考が育まれると考えています」と越川氏は話す。

子どもだけでなく大人も熱中するTEGUMIIの魅力

もともとイベントを主軸に起業したエドギフトは、ユーザーの反応をじかに見られるのが強みでもある。子どもたちにTEGUMIIを渡して遊んでもらうと、その遊び方でタイプが分かってくるのだという。

「見本通りに作りたい子と、自分の思ったとおりに作りたい子で大きく分かれますね。それと、溝と溝をかみ合わせることが直感的に分かって、きちんと差し込めているかチェックしながら組み立てる子もいれば、溝じゃないところに差し込んで好きなようにどんどん組み立てる子もいます」(越川氏)

TEGUMIIで遊ぶ子の親からよく言われるのが、「うちの子がこんなに熱中しているのを見たことがない」「シンプルだけど奥深い」という言葉だそうだ。「奥深さがあるからこそ熱中する──私たちもそれを狙って作っているので、とてもうれしいです」と村松氏は話す。

以前、親子でTEGUMIIを使って遊ぶイベントを実施したときに、普段は自動車メーカーでクルマの設計をしている父親が熱中するあまり、「これ貸しなさい」と我が子のパーツを奪おうとする場面があったそうだ。ものづくりを仕事にしているエンジニアを熱中させるほど、TEGUMIIが魅力的ということなのだろう。

「大学時代、教育事業やイベント活動を通じて、子ども自身が判断する選択肢を持てること、自己決定感を持つことが、熱中するために必要な要素だと学びました。TEGUMIIは、『この作品を作りなさい』というものがなく、何を作るか、どうやって組み立てるのかも自分で決めていくもの。それが熱中してもらえるポイントなのかなと思っています」(越川氏)

手応えを確かめながらTEGUMIIを教育プログラムに組み込んでいく

現状では、TEGUMIIの生産はクラウドファンディングで得た資金で購入したレーザーカッターを用いて社内で行っている。販売チャネルはTEGUMIIのWebサイトでのECが基本で、155ピースを1セットにしたものを販売している。

155ピースセットを購入すると、布袋に入って届く。平面の板だからきれいにそろえてしまえばかさばらず、軽いため持ち運びにも便利だ。出かけた先などで、子どもにおとなしく集中しておいてほしいときにTEGUMIIを取り出して遊ばせている親も多いそうだ。

2022年9月12日には、プラスチック製のTEGUMIIの新商品発表をした。赤、青、黄、白色のパーツがあり、表現の幅も広がる。将来的には、年齢などに応じてパーツの組み合わせを変えたセットを作ったり、販売店やECプラットフォームへと販売チャネルを広げたりしていきたいという。

「まずは自分たちと近いところで購入していただいて、フィードバックやデータを集めながらTEGUMIIというプロダクトを研ぎ澄ませていくことを優先しています」と越川氏は話す。

そのために、TwitterやInstagramに「#テグミー」のハッシュタグを付けて作品の写真や動画を投稿してもらうよう呼びかけ、その投稿にコメントするなどの取り組みを行っている。

ユーザーがどのように遊んでいるかを知ってプロダクトの改良に役立てるとともに、ユーザー同士のつながりを促す取り組み。

「さらに、お客さまに個別にお願いして、より深くヒアリングさせていただくこともあります。何より大事なのはお客さまがどう思っているかだと思うので、こうした取り組みは大事にしていきたいですし、これをせずにTEGUMIIの発展はないと思っています。まずは、TEGUMIIを本当に好きで遊んでくれるファンを増やしていきたい」と村松氏は話す。

現状では、TEGUMIIというプロダクトが目立っている形だが、2人はプロダクトが売れることそのものには、実はあまりこだわっていない。なぜなら、このTEGUMIIを用いた教育プログラムを確立させていくことに重きを置いているからだ。

「TEGUMIIというハードがある程度煮詰まってきたら、どのような教育プログラムにしていくのかというソフト面の開発に力を入れる考えです。デジタル技術などを掛け合わせながら、『子どもたちが試行錯誤を楽しむ』というところにとことんこだわった教育プログラムを作り上げていきたい」と、越川氏は将来の展望を語った。

足が不自由な人が自分の足でこぐ車いす「COGY」に見る、人と道具の関係

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

ダイシャリン和光店COGY売場にて撮影。

「足こぎ車いす」という、よくよく考えると矛盾にも思える、足でこいで移動する車いす「COGY(コギー)」が静かに広がっている。足の不自由な人が乗るはずの車いすをなぜ足で駆動するのか、どのような仕組みで動かない足でこげるのか。製品の成り立ちや原理、製品化の道のりを、COGYの開発、製造、販売をしているTESSの鈴木堅之(すずき けんじ)社長に聞いた。電動車いすのような移動のためのモビリティとは異なる視点で作られたCOGYとユーザーの声から、「便利にする」「楽にする」だけではない、道具と人の関係が見えてくる。(撮影協力:ダイシャリン和光店)

足が不自由な人が乗るのに足でこぐ車いす

車いすは、車輪を手で回すか、モーターなどを使って電動で回すかするもので、いずれにしても何らかの理由で足が不自由な人が乗るもの、というのが一般的な認識だろう。そのイメージを覆すのが、足でこぐ車いす「COGY」だ。

ダイシャリン和光店で展示されるCOGY。試乗も可能。

鮮やかなイエローとレッドの2種類があり、ピカピカの塗装がスポーツカーのようでカッコイイ。シートの下から1本のシャフトが前に伸びていて、その先に自転車のようなペダルが付いている。手元のハンドルとブレーキにより、片手で向きを変えたり停止したりできる。見たところ、モーターのような動力となる機器はなく、完全にメカニカルなプロダクトである。

「自分も最初に見たときは、本当に足が不自由な人がこげるのかと半信半疑だった」と話すのは、COGYを世に送り出したTESSの代表取締役・鈴木堅之氏だ。

足が不自由な人が乗るはずの車いすを、モーターなどのサポートもなく、どうして足でこげるのか。

COGYの原型との出会い

現在COGYを製造、販売しているのは、鈴木氏が2008年11月に設立したTESSという会社だ。鈴木氏は医療または介護畑の人かと思いきや、元は山形で小学校の教員をしていたそうだ。

仙台を拠点とするTESSの鈴木堅之社長にはオンラインで話を伺った。

障害があり車いすに乗っている児童のいるクラスを受け持っていました。その子は運動会や遠足といった楽しい行事への参加が難しい。そこで、何らかの形でそういった行事に“自分の力で”関われる手段はないかと探していたところでした」

そんなとき、たまたま見ていたテレビで流れたのが、東北大学の教授が研究中だという足こぎ車いすを紹介するニュースだった。

「そのときはまだ今のCOGYのようなものではなく、一般的な折り畳みの車いすを改造してペダルを取り付けただけのものでした。でも、足が不自由な方がそれに乗ったら、スーッと動き出したんです」

自分のクラスの子に使わせてみたい──興味を持った鈴木氏はさっそく東北大学にコンタクトを取り、足こぎ車いすの発明者である半田康延教授の研究室を訪ねた。

そこでニュースで見た改造車いすをじかに見せてもらった鈴木氏は、最初「これで動くわけがないだろう」と思ったそうだ。「車いすにペダルを取り付けただけですからね。当時はまだ研究機でしたから、車いす自体が非常に重たかったですし」と鈴木氏は振り返る。

ニューロモジュレーション──不自由な足でこげる理由

実は、COGYをこげる可能性があるのは、片方の足が少しでも動かせる人に限られる。

片方の動かせる足でペダルを踏むと、もう片方の動かない足がクランクによって体に引きつけられる。その動きが人の脊髄にある「原始的歩行中枢」を刺激し、反射によって動かない方の足がペダルを踏む形で前に出る。それを連続させることでペダルをこげるようになる──というのが、半田教授による説明だ。

このように、特定の神経学的部位を刺激することで、神経活動を調整することを「ニューロモジュレーション」という。日本語に訳すと「神経調節」だ。

半信半疑だった鈴木氏も、足が不自由な人が車いすをこぐ動画を半田教授から見せてもらいながら説明を受け、納得したそうだ。そして後日、足がまひしていてリハビリ中の人が実際に車いすをこぐのを目の当たりにして、足こぎ車いすの可能性を確信した。

「人の体の機能を改善できるのは薬や手術だけではなく、別の面白い道があるのかもしれないというお話でした。それが本当なら、いろいろな方に希望を持ってもらえる製品にできるのではないか。とにかく、こんな素晴らしいものを大学院の研究室にだけ置いておくのはもったいないと思ったのです」

足こぎ車いす製品化までの道のり

もともと足こぎ車いすは、1990年代後半に科学技術庁が実施した地域結集型研究開発プログラムに採択された事業の一環として研究が進められてきたものだった。足こぎ車いすの事業化に向けて設立された会社に鈴木氏は一度入社し、営業として足こぎ車いすの販路開拓、普及に努めていた。しかし、2008年、その会社は収益化の見通しが立たないことから清算されることが決まった。

そこで鈴木氏は起業を決断する。半田教授と東北大学の許可を取り付け、ライセンスを譲り受ける形でTESSを設立したのだった。

この時点で製品の核となる部分、すなわち「原始的歩行中枢の反射が起こす仕組み」の設計はできていた。ただ、まだ研究機であったため、見た目がいかつくて近寄り難く、誰も使おうとしない代物だったという。

起業当時の研究機は、重いため取り回しが大変だった。(写真提供:TESS)

製品化への第一歩として取り組んだのは、デザインと機能面を使いやすいものに変えていくことだった。病院や車いすユーザーのいる家庭にヒアリングをして、障害を持つ人やその家族などに、既存の福祉用具でどこが不便に感じるかといった調査をした。加えて、介護保険でレンタルできるようにしたり、自治体から補助金が出るようにしたりといった、ユーザーの負担を抑えるための各種制度に対応できるように、仕様決めをした。

しかし最終的には、福祉用具の専門家や実際にモビリティを作っているメーカーの協力を得なければ大学の研究機からは抜け出せない、そう判断した鈴木氏は、パートナーとなってもらえる会社を探した。

「車いすメーカーから福祉用具メーカー、自転車メーカー、ものづくりで有名な町工場の社長さんまで、力を貸してもらえそうな先は全て当たりました。発明者の半田先生にも協力していただいて、二人で手分けをして、電話をしたり直接訪問したりしたのですが、くまなく断られました」

しかし1社だけ、あえてリストに載せていない会社が残っていた。その会社は千葉県にあるOXエンジニアリング。パラリンピックの競技用車いすも製作する世界トップクラスの車いすメーカーだ。鈴木氏も半田教授も、「外部との連携は絶対しない」「社長が職人気質で頑固」という同社の評判を聞いていたため、リストから外していたのだ。しかし他の企業に全て断られた以上、望みはここしかない。

つてを頼りにアポイントを取り、話だけは聞いてもらえることになった。鈴木氏はOXエンジニアリングを訪れ、依頼内容と仕様の説明をしたが、社長(当時)には終始目を合わせてもらえず、聞いているのか了承してくれるのかも全く分からないまま、その日は帰途に就いた。

訪問から2週間。これは無理か……と諦めかけていたが、どういう結論が出たのか一応確認しようと鈴木氏は電話をかけた。すると「図面は書いてある」とのこと。「何を2週間も待たせているのか、本当にやる気はあるのか」──そんなことを言われながらも、どうにかOXエンジニアリングから設計と受注生産の承諾を取り付けた。

2009年3月に試作第1号が完成。このときはCOGYではなくProfhand(プロファンド)という名前で、同年7月の販売開始にこぎ着けた。その後、OXエンジニアリングから助言をもらいながら量産のための工場を探し、現在は台湾の工場で生産している。

ニューロモジュレーションを起こすためのサイズ設計

COGYは現在、SS・M・Lの3種類のサイズが用意されており、体格に合わせて大きさを選べるようになっている。

筆者は当初、「ニューロモジュレーションを起こすためには、シートとペダルの距離や足を前に出すときの角度、体の前後傾などのジオメトリーが重要なのではないか」と考えていた。ゆえに、シートの下から前方に伸びているシャフトの長さや角度が、乗る人の体に合わせて調節できるのだろうとも想像していた。しかし鈴木氏に聞くと、そのような調節をする箇所はなく、SS・M・Lのサイズごとに長さも角度も固定しているのだという。

シャフトには長さや角度を調節する部分はなく、シートのクッションなどで微調整する。

大学での研究でも、最初は歩行反射を引き出すのに最適な距離や角度のポイントがあると考えて、それを突き止めようとしていた。いろいろなタイプの患者に実際に乗ってもらい、「この角度だとこげる」「この角度ではこげない」というふうに少しずつ角度や長さをずらしてデータを取りながら、最適なポイントを探した。

「でも、データを取っていくと、ピンポイントではなくある程度の幅があることが分かってきました。人間の体にはファジーなところがあって、多少余裕があったり窮屈だったりする方が、自分で調整して動くようになるようです」

ある人は、足は動かないけれども腰は動かせる。ある人は、脊髄損傷で首は動かせる。すると、動かせる部位を調整しながら足を動かそうとし、実際それでCOGYを動かせることが多いのだそうだ。

「COGYのシートの背もたれと座面の角度は、90度よりやや鋭角で前屈みの姿勢になっています。座面とペダルの距離も、脚が伸びきらないほどの絶妙な長さに収めていて、そこが、足こぎ車いすの不思議で面白いところです」

こうして、歩行反射を引き出すためのほど良い角度と距離が分かってきた。また、身長100cmの人から180cm以上の人までをカバーするのには、SS・M・Lの3つで十分ということで、今のサイズの仕様が決まっていった。

世界への展開を見据えた取り組み

COGYには1つ課題がある。この原始的歩行中枢を刺激するニューロモジュレーションやそれを使ったリハビリテーションは、現時点では研究段階であり、まだ理論として確立しているわけではないという点だ。

「『足が動く』という現象が先に起きているんですよね。今いろいろな方が一生懸命研究しているところで、理論付けはこれからなされていくのでしょう」

COGYはアメリカのFDA(食品医薬品局)の医療機器認証を取得しているが、その申請の際のエピソードが面白いので紹介したい。

「FDA認証取得までに何度も再申請をしました。最初に申請したときは、ものすごい厚さの資料が返送されてきたんです。何かと思って読んでみると、車いすにペダルを付けたものや、車いすを改造して三輪車のようにしたものなど、類似の製品の資料でした」

つまり、それら類似製品との違いを示せということだったらしい。

「さすが発明者が多くいるアメリカだなと思いましたが、示された類似製品はどれも単なるモビリティ、乗り物でした。COGYもモビリティには違いありませんが、同時にニューロモジュレーションを起こす装置でもあり、そこが違うという説明を加えて再申請しました」

再申請では、歩行反射を引き出すためにシャフトの長さや角度、シートとペダルの距離を計算のうえ設計しているということをつぶさに説明した。しかし結局、書面のやりとりでは理解されなかった。

「最後はFDAの事務局へ出向きました。足が不自由な方に来ていただいて、COGYと類似する代表的な製品をその場で乗り比べてもらい、『COGYだけがこげる』ということを実際に見てもらったんです」

これにより、FDAの評価は一転。「やはりCOGYは違うのだ」「これはすごい」と認められ、認証が下りた。理論として確立していないものをそう簡単に認めるわけにはいかないが、実際に目の当たりにした事実はきちんと認めるというFDAの姿勢を見て「アメリカはすごい」と鈴木氏は思ったが、同時にCOGYの価値を理解してもらうことの難しさを痛いほど感じた経験だった。

アメリカのFDAの他に、COGYはEUのCEマークや、ベトナムではJICAの支援を受け、「足こぎ車いす療法」として治療行為に使うことが保健省により認められている。現在、ベトナム国内6カ所の病院のリハビリ室にCOGYが置かれているそうだ。

ベトナム・ハノイ市内の障害者支援NPO団体にて。生まれつき腕と脚に障害を持ち立位歩行が困難な男性が、COGYに試乗したあと「こんなに自由に動けたのは初めて」と笑顔を見せた。(写真提供:TESS)

翻って日本ではどうかというと、COGYは医療機器の認証を受けておらず、「福祉用具、車いす」の製品分類となっている。鈴木氏によると、そもそも承認申請をしていないそうだ。理由は、日本の医療機器認証の仕組み上、同じ用途の機器であっても「脳梗塞」「脊髄損傷」など症例ごとに承認申請しなければならず、そのコストが膨大になるためだ。

「ただ、それがかえって良かったかもしれません。医療機器になると取り扱える企業が限られますから。その点、車いすを販売する上で免許や資格は不要です。今後の展開を考えると、広く一般に扱えるものにしておいて良かったと思っています」

「自分の足でこげる」ことが自信や希望につながる

試行錯誤と改良を経て、足こぎ車いすを量産化し本格的に市場へ投入したのは2012年のこと。その後、2016年に「COGY」へと改称し、マーケティングにも力を入れた。当時、YouTubeにアップしたプロモーション動画は1週間で100万回以上再生され、世界中から「感動した」というコメントが多数寄せられた。

「『父に使わせたい』『入院中の同僚に教えてあげたい』というコメントが多くて、障害者や高齢者などCOGYを使うような方ご本人のコメントはありませんでした。こういう新しいツールが出ても、ご本人から『使いたい』とはなかなか言えないんですね。『ただでさえ迷惑かけているのに』とか『病院にあればいいなんて言うと、わがままな患者と思われるかも』という心理が働くのでしょう。でも、周りにこれだけ温かい気持ちの方々がいるのならCOGYは結構いけるんじゃないかと、コメントを見て感じました」

鈴木氏のもとには、実際にCOGYを使った人からの手紙やメールがたくさん届く。その手紙には、「自分の力では移動できないと諦めていたけれど、諦めなくていいんだと思えるようになった」「立って歩くことはできないけれども、COGYでこれだけ動けるのだと分かり、少し希望が持てるようになった」という思いを綴る人が圧倒的に多い。

COGYに乗って散歩をした、花見に行った、海外旅行に行ったといって写真をメールで送ってくれる人もいる。中にはホノルルマラソンをCOGYで完走した人もいるそうだ。

「COGYはリハビリや機能回復のためのアイテムとして開発されましたが、使っている方たちは、乗っていると気持ちいい、自分で自分の体をコントロールできているのを確認できるのが嬉しいということで乗ってくれているのだと思います」

研究機の段階では、いかつくて見向きもされなかった足こぎ車いすが、使いやすさや気持ち良さに価値を見いだされ、2021年時点で累計6000台以上売れているという。

自転車の店でCOGYを販売する意図

先ほど、COGYは海外の各種認証を取得していると書いたが、販売ルートを確立できているかという意味では、現状はまだCOGYの工場がある台湾のみで、今後の課題は海外への販売網の開拓だ。

国内では新しい展開を始めている。シナネンサイクルが運営する自転車販売店「ダイシャリン」において、COGYの販売、メンテナンスを開始したのだ。ダイシャリンは東北、首都圏エリアを中心に36店舗を展開しており、2021年8月、まず7店舗(宮城2店、埼玉1店、東京3店、神奈川1店)で取り扱いを始めた。

サイクルプラザ「ダイシャリン」和光店

シナネンサイクルの中西信昭社長と鈴木氏は、TESSを起業した頃から十数年来の知己であり、今回の提携に至った。これからCOGYを介護、リハビリ用品としてだけでなく、もっと一般に広めていきたい考えが一致した形だ。

「COGYは一目見ただけだと、車いすとは思わないですよね。新しい自転車かな? と思っても不思議ではないくらいです。COGYを店に並べていると、お客様から『実はうちの家族が歩けなくて……』と話しかけられるようになりました。従来の介護用品は『おすすめです!』と言って売るものではありませんでしたが、高齢化社会でいわゆる介護予備軍も増えていく中、私たちはCOGYを誰でもアクセスしやすい健康増進のためのモビリティとして、積極的に提案していきたいと考えています」(シナネンサイクル中西社長)

COGYでVRワールドを歩き回れる世界作りへ

再びCOGYという製品に焦点を当てると、今後の展開について「ハード面では、今はシンプルな仕様になっていますが、細かな点をもう少し使いやすく変更していく予定です」と鈴木氏は話す。

そして今後は、ソフト面にも力を入れていくという。例えば、COGYに乗ったことによる運動量や消費カロリー、健康状態の変化などをヘルスケアアプリと連動して見えるようにするといったことも、今考えているアイデアの1つだ。

「自転車をローラーに載せたりスマートトレーナーにつなげたりして、室内でトレーニングする方がいます。それと同じように、COGYを室内で固定してこげるようにしていきたい。さらに、VRと連携してWeb上の仮想空間をCOGYで歩き回れるような世界を実現できれば、例えば仮想空間上の商店街を歩き回りながら買い物を楽しんだり、遠距離でなかなか会いに行けない孫と一緒に仮想空間で散歩を楽しんだりといったこともできるようになります。そのような使い方の下地作りを、今、大学や地域の方たちと進めているところです」

社会の高齢化が進めば、病気やけがによる障害だけでなく、老いによって歩くことが困難になる人も増えていくだろう。近年、「プレフレイル」と呼ばれる、フレイル(老いにより心身が衰えた状態)の前段階の層へのケアが社会的にも注目される中、予防的に体を動かし、健康増進を図ることの重要性は一層高まっていく。

誰しも老いからは逃れられないことを考えると、自分の足でこいで動き回れるCOGYはもっと注目されていいはずだ。まだ歩けるのに車いすに乗るように言われても、普通は抵抗感があるだろう。でもCOGYなら、ゆっくりでも自分の足で歩き回れる新しいモビリティとして、楽しんで乗れるのではないだろうか。

研究者に聞いた「折り紙」をものづくりに取り入れるヒント——筑波大 三谷教授

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

日本で生まれ育った人なら、おそらく誰でも折り紙で遊んだことがあるだろう。ただ1枚の正方形の紙から、平面や立体のさまざまな造形を生み出す折り紙はクリエイティブで奥が深く、海外の人々を魅了している。

3Dプリンターが個人でも所有できるようになり、頭で思い付くどんな形でもそのまま造形できるようになったが、制約の大きい折り紙という手法だからこそ生まれる面白い形や、ものづくりの楽しさがあるのではないか。そう考えて、折り紙を研究している筑波大学の三谷純教授に話を聞きに研究室を訪れた。(撮影:西村法正)

ものづくり好きが3D CGを経て折り紙研究の道へ

私たちが「折り紙」と聞いて思い浮かべるのは、子どもの頃に折り鶴などを折ったカラフルな正方形の紙ではないだろうか。三谷教授が10年以上にわたり研究の対象にしている折り紙は、必ずしも正方形の紙を用いるわけではない。長方形や正八角形の紙から作る場合もある。ただ、1枚の紙から「折り」だけで作ること、「紙を切ってはいけない」ことが折り紙のルールだ。

三谷教授の所属は筑波大学大学院システム情報系情報工学域。専門は3Dのコンピューターグラフィックス(CG)だ。3D CGと折り紙。これだけ見ると、どういう関係があるのか今ひとつ分からない。そこで最初は、三谷教授の学生時代からの研究をひもといていくことにしよう。

「もともと機械やものづくりが好きで、学部生時代は工学部で精密機械を学んでいました。やがて研究室を選ぶタイミングを迎え、私が選んだのはCADを扱う研究室。当時(1996年)はちょうどインターネットが一般に普及し始めた頃で、『これからはコンピューターのほうが面白くなりそうだ』という気持ちもあり、ものづくりとコンピューターの両方に関われる研究室への配属を希望しました。研究室では3次元の形をコンピューターでいかにハンドリングするかを研究しました。それがCGの世界に入ったきっかけです」

CGを専門とする中で、「折り紙」に興味を持って掘り下げていこうと思った背景には、どのような経緯があったのだろうか。

「CADのようなものづくりのソフトウェアで設計するものの素材は鉄の平らな板であることが多く、板金という技術で加工することが多いのです。そうすると、素材があまり伸び縮みしない前提で、『折り』の加工で作れる形を設計することがすごく大事なことなんです……ただ、それは後付けの理由で、昔からペーパークラフトや紙工作がすごく好きだったことが大きな理由です(笑)」

3Dモデルから展開図を自動作成する「ペパクラデザイナー」を開発

そうはいっても、いきなり折り紙を研究し始めたわけではなく、当初の研究対象はペーパークラフトだったという。

「立体を組み上げるためにどのような展開図が必要かを計算するソフトウェアが当時なかったので、『自分で作れるんじゃないか』と思い立ち開発しました。それが博士課程での研究につながりました」

ペーパークラフトのウサギ。曲線で切られた紙片を内側からセロハンテープで継ぎ合わせている。

「例えばこのようなウサギを作ろうとしたときに、どのような形の紙を継ぎ合わせると実現できるのかという問題があります。全ての紙片を三角形にして、いわゆるポリゴンに置き換えて角張ったウサギにすることもできますが、紙は曲げられるのでリンゴの皮をむいたときの皮のようにしようと考えました」

そうして三谷教授は、学生時代のうちに3Dモデルデータから平面の展開図を自動生成するソフトウェアを開発し、インターネット上に公開した。それをベースに開発した3D紙工作用ソフト「ペパクラデザイナー」は商品化され現在も市販されている。

ペパクラデザイナーのWebサイト。

ペパクラデザイナーはOBJ/STL/3DSなどの3Dデータ形式の読み込みに対応しているが、3Dモデリングソフトウェアである「Metasequoia」の独自形式ファイルを高い再現性で読み込むことができるため、これが推奨されている。

読み込んだ3Dモデルに対してペパクラデザイナー上で切り込みを入れる位置を指定すると、ボタンひとつで展開図が自動で生成される。展開されたパーツにのりしろを付けることも可能だ。カッティングプロッターと組み合わせれば、ダイレクトに切り抜かれたパーツができ、あとは組み立てるだけという優れものだ。

「意外なのですが、国内よりも海外で英語版がたいへん広く使われているようです。紙工作や建築模型の作成、少し変わった形の箱のデザイン、コスプレ衣装の型紙作りのほか立体物の試作まで、幅広い用途で使っていただいています」

より制約の厳しい「折り紙」の世界に足を踏み入れる

その後、2004年に博士課程を修了。2005年に筑波大学大学院システム情報工学研究科講師に着任して研究者の道を進むことになった。

「次はもっと制約を厳しくして、紙を切らずに『折り』だけで立体を作るとすると、どんなインターフェースでデザインして、どんな形がどういう計算によって実現できるのか。そんなことが研究になりそうだと思って折り紙の世界に足を進めました」

2008年ごろには、回転対称な立体であれば比較的簡単に計算によってデザインできることが分かった。「1枚の紙で切らずに形を作る、しかも対称の形で」となると制約が厳しく、作れる形の幅も狭まるが、その半面、比較的簡単な関係式でその形を設計できるのだという。

真上から見ると回転対称になっている(右端以外)。

「ペーパークラフトの場合は、最初に作りたい形のモデルを3D CGでデザインすればいいのですが、折り紙の場合は同じようなアプローチで形を作ることができません。ただ、回転対称性を持った形に限れば、どこをどう折ればよいかを計算で求められることが分かりました」

三谷教授は、その計算を視覚的なインターフェースで行えるソフトウェアを開発し、2011年に公開する。「ORI-REVO」というプログラムだ。

ORI-REVOで視覚的に仕上がりの形をデザインする。

ORI-REVOでデザインする時は、最初に出来上がりの立体を上から見たときに、六角形になるか八角形になるか、正多角形の数字を設定する。そうした後に、今度は立体を横から見たときの断面の形を、マウスクリックで決めていく。すると、計算によって折り線が求められ、展開図と最終形の3Dモデルが出力される。展開図はAdobe Illustratorで読み込めるDXF、またはPNGのファイル形式で保存することが可能だ。

平面から立体を設計する「Origami Simulator」

ORI-REVOにより回転対称の立体は簡単に作れるようになった。その後は、回転対称ではない立体にも挑み始めた。

回転対称ではない形の作品。

「ORI-REVOで作れるのは、上から見たときに正多角形になっているものだけです。じゃあもう一段自由度を上げて、例えば上から見ると十字の形になるようにするにはどうしたらよいかを考えていく。自由度をひとつずつ拡張していくような考え方ですね」

こうして新しく設計の技術が開発されるのに伴って、作品の特性が変わっていくのだそうだ。この辺りの設計になってくると、計算に加えて経験に基づく感覚がものを言う世界に入っていくらしい。

3次元の形から逆算して作るのではなく、2次元の折り目を引いて、それを折るとどういう立体になるかをコンピューター上でシミュレートできるソフトウェアもあるのだそうだ。米マサチューセッツ工科大学(MIT)の学生によって開発されたもので、その名も「Origami Simulator」

規定の仕様に従って山折り/谷折りなどの情報を含んだ画像ファイル(SVG形式またはFOLD形式)をOrigami Simulatorに読み込んで、画面下部にあるスライダーのつまみを「Folded」のほうへ動かすと、1枚の平面が折り線の通りに折られて立体になっていく様子をアニメーションで見ることができる。

Origami SimulatorはWebアプリケーションで、無料で使えるため、アクセスしていろいろ触ってみるとよいだろう。「Examples」には多数のサンプルが用意されており、オーソドックスな「Crane(折り鶴)」や、有名な「Miura-Ori(ミウラ折り)」のモデルもある。「Curved Creases」のカテゴリーには三谷教授デザインによる作品もいくつか収録されている。

三谷教授がデザインした「Comet」。上はOrigami Simulatorに収録されたデータで、下は紙で実際に作った作品。

いろいろな形の作品を作って経験を積んでいくと、平面の状態でも「ここはこういうカーブを入れたほうがいい」「こういう折り目にすれば破綻なく折れる」といった感覚がノウハウとして身に付くのだそうだ。

「最近は、人間の感性を信じてもう少し自由な発想の造形ができないか模索し始めています」と話す三谷教授の最近の作品がこちら。滑らかな曲線が美しく際立つ。

大きくゆるやかな曲線の折り目で作られたアシンメトリーな形。(写真提供:Jun Mitani)

数学からのアプローチと工学の視点からのアプローチ

一昔前、折り紙研究は学問の領域としてまだ確立していなかった。しかし現在は「日本折り紙学会」「折り紙の科学国際会議」などがあったり、「日本応用数理学会」という学会内に「折紙工学研究部会」のような発表の場ができたり、「折り紙」に関係する研究の場は増えてきている。

ただ、どういう視点から折り紙に興味持ったかは、一様ではない。三谷教授の見立てでは、数学の視点からの人が半分、工学の視点から取り組む人が半分くらいだろうとのこと。

数学の視点で見ると、折り紙は幾何学の分野に当たる。例えば、与えられた折り線のネットワークに沿って折ったときに平らに折ることができるかを、どのようにして判定できるか、という未解決の問題がある。適当に引いた折り線を折ってたまたま平らに折れることは極めてまれで、前もってある条件を満たす折り線を引く必要がある。その条件を満たしているかどうかを判定する、あるいはその計算のオーダーはどういうものか、という問題だ。数学者は、主にそのような視点で折り紙にアプローチしているそうだ。

一方、工学の視点は、建築や家具などのデザイン・設計への応用を考えている。大きなものを必要なときだけ広げて、必要でないときは折り畳みたいケースはいろいろなものが考えられるだろう。

例えば大きなものだと、ドーム状の構造物の屋根を天気が良いときは取り払いたいケース。小さなものでは机やイス、テントなど、折り畳んで持ち運べるようにしたいニーズはいくらでも考えられる。自動車のエアバッグや、商品パッケージなども折り畳むものだ。

人工衛星に取り付ける巨大な太陽光電池パネルの折り畳みに使われた「ミウラ折り」という折り方は有名だ。対角を持って引っ張るだけで簡単に広げたり、折り畳んだりできるジグザグのパターンだ。非常に優れた性能を持つ「折り」の技術として工学的に応用され、広く知られている。

Origami Simulatorに収録されているミウラ折りのモデル。

ただ、三谷教授によると、このように工学的に有用で特徴的な性能を持つ「折り」のパターンは、そう多くあるわけではないそうだ。

「折り方に名前が付くほどのものだと、吉村パターン(ダイアモンド・パターン)があります。あとは、もう少し複雑なロンレッシュ・パターンというものがあります。ほかにもなくはないですが、広く使われているのはミウラ折りくらいでしょう」

役に立つかよりも折り紙の「美しさ」に目を向けてみよう

「私のように、研究と言いながら折り紙作品の発表に力を入れている人は意外と少ないのです。私の作品の場合は、工学的に優れた性能を持った折り方をしているわけでなく、純粋に見た目の美しさや面白さを求めているし、そこを評価していただいていると思っています」

三谷教授は、研究者でありながら、折り紙作家、あるいはデザイナーとして、これまでにさまざまなコラボレーションをしてきた。

2010年には、ISSEY MIYAKEが新しいファッションブランド「132 5.」を立ち上げた際、三谷教授とのコラボレーションがそのコンセプトに影響を与えた。同ブランドのWebサイトを見れば「折り紙」というモチーフがどのように生かされているか、その一端が分かるだろう。

また最近では2019年に開催されたラグビーワールドカップ日本大会において、試合ごとに優れたプレーをした選手(Player of the Match)に授与されたトロフィーのデザインに三谷教授が協力した。日本開催だったことから、「日本らしさ」を折り紙に求めてオファーがあったのだそうだ。

しかし結局のところ、折り畳むニーズはあっても、「1枚の平面から、切らずに折り畳まなければいけない」という折り紙のルールを課す必要があるものは、実はあまり多くないのである。

例えば衣服のデザインなら貼り合わせや縫製があるし、何らかのオブジェクトを作るにしても、わざわざ苦労して素材を折り上げるより、折り紙作品“風”の立体を射出形成でつくってしまったほうが早くて安上がりなケースは多い。

紙を折る「過程」で見えてくる思いがけない形を求めて

折り紙をモチーフとする“風味”が欲しいのではなく本当の折り紙をものづくりに生かすなら、「折る」プロセスは必須だ。したがって大量生産の商品とするのには適していない。逆に言えば、折り紙という手法はハンドメイドの一点物や、パーソナルファブリケーションに向いていると言えるかもしれない。

三谷教授に、折り紙の魅力を尋ねてみた。

「立体的なものを作ることが、私は好きなんです。プラモデルや模型を作るのも大好きですし。1枚の平らな状態から『折る』ことだけで立体が立ち上がってくる折り紙は、長年研究してきた今でもとても面白いと思っています。あとは、数学的に──まあそれほどたいしたことではないのですが──計算で導かれる形がそのまま実際に作れる点も面白いですね」

3Dプリンターが個人で所有できるレベルにまで価格が下がり、サイズもコンパクトになってきた。それが無理な人でも、ファブラボなどで手軽に3Dプリンターを利用できる環境がある。それでいて造形の精度は上がった。

「私が研究を始めたころは3Dプリンターが高くて手が出なかったから、紙を使ったという事情はありますけれども(笑)。3Dプリンターって何もないところに『ポン』とモノが出てきちゃいますが、折り紙は折っている途中の変化がすごく面白いんですよね。

3Dプリンターだと自由過ぎて、逆に何を作ればいいか分からない人はいるかもしれません。そういう人にとって折り紙は、『制約の中で何を作り出すか』を考える上で“ちょうどいい”制約になるのではないでしょうか。私は折り紙の用途は提案しません。折り紙という制約の中でどのような造形ができるかを探求し、作品を通じて提案しています。ものづくりが好きな皆さんが、それを見て何にどう生かせるか、考えてみてほしいと思います」

豊橋技術科学大学ICD-LAB「弱いロボット」に学ぶものづくりのアイデアのヒント

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

2021年2月、パナソニックが“弱いロボット”「NICOBO(ニコボ)」の開発を発表、クラウドファンディングでプロジェクトを展開した。NICOBOの見た目は丸いぬいぐるみで、目と鼻、尻尾のようなものが付いている。「なでると、よろこんで尻尾を振る」「寝言やオナラをしたりする」「たまに言葉を覚えてカタコトで話す」「自分では移動できない」といった特徴があるようだ。この、何かの役に立ちそうもないロボットが、約7時間でプロジェクトの目標金額を達成した。

NICOBOは、「“弱いロボット”の研究を通して、人とモノ、人と人の関係や社会のあり方を探求している豊橋技術科学大学の岡田美智男研究室(ICD-LAB)」とパナソニックとの共同開発によるものだそうだ。ロボットに多機能/高性能が求められる時代に、なぜロボットの「弱さ」に着目し、研究しているのか。そんな疑問を抱き、岡田美智男教授に話を聞きに行った。(撮影:中神慶亮[cove1])

ICD-LABで生み出された「弱いロボット」たち

取材に訪れた先は大学の研究室ではなく、豊橋市の「こども未来館」という公共の施設。ICD-LABでは年に1〜2回の頻度で「弱いロボット」たちをここで展示しているのだという。ロボットを子どもたちと触れ合わせて、その反応を見ることも研究の一環なのだそうだ。

なぜ「弱いロボット」をつくるのかを聞く前に、そもそもどんなロボットたちがいて、それぞれ何をするのか、どのように「弱い」のかを見ていこう。

●iBones(アイ・ボーンズ)

まず紹介するのは、展示会場の入り口で出迎えてくれた「iBones」。実はこのiBonesの動画がSNSで話題になったことがある。ポケットティッシュを通行人に渡そうとするロボットだ。人がティッシュ配りをするとき、例えば一歩踏み出して通行人の目の前にスッとティッシュを差し出すようなやり方であれば、受け取ってもらえる確率は高まるだろう。

iBonesは一カ所に止まって、おずおずとティッシュを差し出したり引っ込めたりするばかり。なかなか渡せない。でも、そうやっているうちに、iBonesのおずおず、もじもじした動きと、なかなか受け取ってもらえない様子を見て不憫に思ったであろう人が自ら寄ってきて、ティッシュを受け取ってくれた。

このように、「ロボット単体では何もできないが、周りの人に助けを求めることで『何か』を成し遂げてしまう」ことが、“弱いロボット”の特徴だ。

今回の展示では、新型コロナ禍ということもあり、ティッシュの代わりに消毒用アルコールをiBonesは提供してくれていた。来場者が手を差し出すと、下のタンクからポンプでアルコールを吸い上げて吹きかけてくれる仕組みだ。

●Pocketable-Bones(ポケボー)

ポケボーは、スマートフォンにクリップで取り付け、それを胸ポケットに入れて一緒に街歩きをするロボットだ。動くのは頭の部分だけ。自律的に左右上下をキョロキョロと周りを見回したり、人が見ているのと同じ方向や物を見たりする。

そうすると、ロボットとつながっているような感覚や、関心を共有しているような感覚があって楽しい。あるいは、見知らぬ場所を歩くときも相棒と一緒のような気がして心強い。ポケボーはそういうロボットだ。

ただ、人間だったら一緒にいる人が何を見て注意を向けているかは顔や目の向きを見て察知できるが、ロボットがそれをしようとするとなかなか容易ではない。

そこでこのポケボーでは、人がメガネを取り付けた帽子をかぶることで、それを実現する。このメガネは、JINSが開発したウェアラブルデバイス「JINS MEME」。これに搭載されているジャイロセンサーで人の顔の向きを検知している。同時にスマートフォンのカメラで外界や特定の物体を認識して画像処理を行い、人の視線と調整しながらポケボーの挙動をコントロールしている。

岡田教授は「これが実用的かは分からない」といって笑うが、将来的には地図アプリと連動させてポケボーをナビゲーターにすることで、旅先でのガイドロボットや高齢者の外出支援などへの利用も視野に入れている。

●Talking-Bones(トーキング・ボーンズ)

トーキング・ボーンズは、子どもたちに昔話を話すロボット。でも、ただ勝手に物語を読み上げるだけではない。台座部分に備えられたカメラで子どもの顔を認識して追尾しながら、たどたどしく語りかける。「いまからね、桃太郎を話すよ」「昔々ね、あるところにね、おじいさんとね、おばあさんが住んでいたんだよ」と、こんな具合だ。

そして、「どんぶらこ、どんぶらこと、大きな、えーと……」といった具合に、たまに大事な言葉を忘れてしまう。すると、それを聞いている子どもは「わたし知ってるよ」と言わんばかりに「桃!」と補足する。トーキング・ボーンズは「あ、それそれ」などととぼけた返事をしながら話の先を続ける。そんなことを繰り返して、ストーリーの一部を子どもたちに補ってもらいながら、一緒になって物語を最後まで完成させてしまうのだ。

発話の内容に関しては、ディープラーニングで言語生成しており、リカレントニューラルネットワークで言語をつくろうとするが、古い記憶がだんだん薄れてきて情報の再入力が必要になる──そんな状態を理想としているそうだが、現時点ではまだ作り込みの途中だという。もの忘れをするのもトーキング・ボーンズの「弱さ」の1つであり、それが子どもたちの手伝おうとする気持ちを引き出すことにつながっている。

一方、ハードウェアの観点では、ロボットの体が頭の動きに合わせて生じる“よたよた”した感じのゆれが、そこに物体ではなく「相手」がいることを子どもたちに思わせるのに一役買っている。

「この“よたよた感”がとても重要。動きが硬いと誰も寄ってこないんです。体の間にいくつかスプリングを入れて実現しています。生き物って、完全に静止しているように見えて実は絶えず細かく動いています。最初につくった学生のプロトタイプでは全体の動きに硬さが残っていたのですが、 “よたよた”させたほうがいいよと言って、ばねを入れたらいい感じになった」と岡田教授は説明してくれた。

●Whimbo(ウィムボー)

写真提供:ICD-LAB

見ての通り、マイクである。ただし普通のマイクと違うのは、モーターが2軸取り付けられており、左右に首を振ったり、うなずくような動きをすること。台座部にカメラが付いていて、人の顔を認識している。

例えば、オンライン会議ツールで話していると相手の表情が読み取りにくかったり、相づちにもタイムラグがあったりして、微妙に話しづらいと思ったことはないだろうか。そういう状況で、もしマイクが「うんうん」とうなずいてくれたらちょっと面白いし、話すタイミングを計りやすくなるのではないか──そんな発想から生まれたのがこのロボットだ。ただし、人の話をよく聞いて常に正確に反応してうなずくのではなく、たまにそっぽを向いてしまうこともあるという気まぐれな面もある。

「“気まぐれ”って大事なんですね。こちらの振る舞いに対して従順すぎると、命令を聞くだけの機械に思えてきてしまって面白くない」と岡田教授は話す。人が命令する、それにロボットが従うという一方通行な関係でなく、「主体性を持つ人間」と「主体性を持った“ように見える”ロボット」の間にソーシャルな関係が生まれることを面白がるのが、岡田教授はじめICD-LABの基本的な考え方のようだ。

ちなみにWhimboはまったく動かなくてもマイクとして使える。「コミュニケーションロボットって飽きられちゃうことが多いのですが、飽きられてもマイクとして生き残ることができる。こういうものを、ロボットとオブジェクトの間という意味で『ロブジェクト』と呼んでいます」と岡田教授は教えてくれた。

●ゴミ箱ロボット

底の部分に車輪が付いており、ゆっくり“よたよた”と動く回るゴミ箱ロボット。しかし腕がないため自分ではゴミを拾えない。できることは、何かものが落ちているのを見つけたときに、体を少し震わせたり言葉にならない声を発したりして周囲に小さくアピールすることだけ。でも、それに気づいた人が「ゴミを捨ててほしいのかな」と察して、拾って入れてあげる。するとゴミ箱ロボットは、少しだけ傾いてお礼のような仕草をする。

自分だけではゴミ拾いを完結できない「弱い」ロボットだけれども、周囲の人の助けを上手に引き出して、しまいにはゴミを全部拾い集めてしまう。このゴミ箱ロボットは、ICD-LABが研究している「弱いロボット」の特徴を非常に端的に表しており、代表作とも言えるものだ。

「床に落ちているものをゴミだと判断し、ゴミ箱に捨てる」という一連の作業をロボットで実現しようとすることは、実はかなり難しい。「何でもいいから拾い集める」ならまだ実現可能かもしれないが、「ゴミなのか、捨ててはいけないものなのか」の価値判断はロボットにとって容易でないことは想像できるだろう。

でも、人間なら、簡単に判断できる。だったら無理にロボットにやらせようとしなくても、その部分は人間が補えばいい。そういう関係性が生じるのを促すのが、ロボットがさまざまな形で見せる「弱さ」なのだ。

人同士のコミュニケーションを解き明かすために「弱いロボット」をつくる

岡田教授は、東北大学大学院で工学研究科博士課程を修めた後、NTT基礎研究所、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)勤務を経て、2006年から豊橋技術科学大学 情報・知能工学系で教えるようになった。前職のATR時代から続けている「弱いロボット」を、現在はICD-LABで学生たちと研究している。

研究室の名前のICDとは、「Interaction and Communication Design」の略だ。実は「弱いロボットをつくる」ことはICD-LABの目的ではなく、あくまで研究の手段である。ロボットだと、例えばポケボーをつくろうとしてみて分かったように、人と同じ物に注意を向けることは容易ではない。なぜ人同士のように上手くいかないのか。これを、ロボットを通じて際立たせることによって、人同士がどのようなメカニズムでコミュニケーションをとっているのかを解き明かすことがICD-LABの主たる研究テーマである。さらにその先には、研究から得た人間科学的な知見を、ソーシャルなロボットや、人とロボットとの関わりに生かしていく目的もある。

ロボットというと、人は高機能なものを期待する。かつてはホンダの「ASIMO」や、近年ではボストン・ダイナミクスの創り出すロボットに目を見張り、「こんなに人間に近づいたのか!」と感心する。ロボットの研究は、知性や行動を人に近づけ、人らしさを追い求める方向で進んできた。岡田教授はそれを「足し算型のデザイン」と呼ぶ。

それに対し、弱いロボットの研究は「引き算のデザイン」なのだという。「ロボットに機能を追加していくのではなく、逆にコミュニケーションや社会性と関係のない要素をどこまで削ぎ落とせるかを考えてきた」と岡田教授は話す。

その結果としてできたのが、削ぎ落とし切る一歩手前の「ロブジェクト」であり、できることは物足りなくて、でもどこかに生き物らしさを感じられて放っておけない「弱いロボット」たちなのだろう。

あり合わせのものでつくってみる「ブリコラージュ」の考え方

自分でも「弱いロボット」をつくってみようと思ったMakerがアイデアを出す上でのヒントを岡田教授に聞いてみたところ、「僕らは『ブリコラージュ』という言葉をすごく大事にしています」という答えが返ってきた。

ブリコラージュとは、フランスの社会人類学者であるクロード・レヴィ=ストロースが『野生の思考』という本の中で紹介した言葉で、「寄せ集めて自分で作る」といった意味だそうだ。例えば、レシピ通りに料理をつくると予定調和的な味のものしかできない。でも、冷蔵庫の中のあり合わせの食材を利用すると、意外と美味しくオリジナルな味が生まれる。そのように、あり合わせのものを上手く使うこと、その中で工夫することをブリコラージュと言うのだそうだ。

「制約ってありますよね。締め切りが迫っているとか、技術が足りないとか、予算が足りないとか。僕らはそういう制約をうまく味方につけて、その場その場であり合わせのものを上手に組み合わせると、オリジナルで面白いものができるという発想なんです。それはアイデアを生み出すときも全く同じで。『こんな技術が使えればいいのに』なんて言っていては単なる愚痴になっちゃうので、『無い』ことをうまく利用するということをやっています」

アイデアが生まれるのは、研究室のメンバーが雑談している中からということが多いそうだ。例えば今回の展示イベントにおいて、iBonesという元々ティッシュ配りをするロボットをどうしようかという話になった。しかし、ティッシュを一度人に渡してしまうと、人の手で次のティッシュをiBonesに補給してあげなくてはならない。

「何か面白い使い方はないかな……と話しているうちに、たまたま今コロナ禍にあって、手を差し出してアルコール消毒してくれるようなロボットがいたら面白いよねという冗談半分のような話から実現しました」

雑談中にアイデアが浮かぶと、学生たちの誰からともなく「ちょっと消毒液のボトルを買ってきて、ちゃんと動くものを作ってみよう」という空気になり、センサーやマイコン、ポンプ、チューブなどを調達してきて、2〜3日でiBonesにアルコールを噴霧させる仕組みを作り上げたのだそうだ。

弱いロボットは引き算のデザインから生まれる

岡田教授は「引き算のデザインは個人的なファブでも手が届きやすい」と話す。

確かに、ヒューマノイドロボットをつくりたいと思っても、金銭的にも時間的にも莫大なリソースが必要になりパーソナル・ファブリケーションとしては成り立たないかもしれない。でも、「弱いロボット」ならアイデア次第で面白いものがつくれそうだ。

「引き算をするのでも、いろいろな側面があります。例えばコミュニケーションや言葉をどこまで削ぎ落とせるか。僕らはよくロボットに『モコ語』という言葉を話させるのですが、これは『モコー!』とか『モコモン!』というふうに意味をなさない言葉なんですね。言葉は発するけれど、言葉の意味を削ぎ落とす。でも、どこか生き物らしさがあって、それでいて人間からいろんな解釈を引き出します」

例えばゴミ箱ロボットが床に落ちているもののそばで「モコー」と言えば「ゴミを拾って」と言っているように聞こえるし、拾い入れてあげたあとに「モコモン」と言えば「ありがとう」と言っているように聞こえる。

「ロボットの顔や表情をどうするかという時に、一番必要なのは志向性なので、目を残したいとなることが多いです。でも目は2つなくてもいい。あるいは肯定の意味でうなずいたり、否定の意味で首を横に振ったりする社会的な表示機構も必要。そうやって、できるだけシンプルになるように考えていくことです」

引き算をして、生き物らしさが何もなくなる一歩手前の境地で「何だけを残すか」を考えることがポイントになりそうだ。

「僕らとコミュニケーションできる対象であることを考えると、機械とかただのモノというのは考えにくい。だから、生き物らしさ、どこかにソーシャルな性質を残しておけばいいわけですが、それをどこまで残すかという辺りが考えどころです」と岡田教授はアドバイスしてくれた。

ICD-LABのウェブサイトでは、本記事で紹介しきれなかった数々の「弱いロボット」たちが、論文タイトルや動画とともに紹介されている。興味を持った読者はぜひ一度訪れて、自分なりの「弱いロボット」のアイデアを膨らませてみてほしい。

元鉄筋工が開発した鉄筋結束ロボット「トモロボ」を作り上げた「引き算の開発」とは?

※2025年3月末「fabcross」運営終了に伴い、自分が書いた記事をアーカイブとして転載しました。

建設業界では現場で作業する職人が高齢化している上に、厳しい労働環境が若手の参入を阻んでおり、近い将来の労働力不足が懸念されている。そんな建設業界で、つらい作業の多い鉄筋工の作業の負担を減らす「トモロボ」が注目を集めている。これを開発したスタートアップ、建ロボテックの代表取締役 眞部達也氏に、建設業界からロボット開発に参入した経緯と、現場の省力化に懸ける思いを聞いた。(撮影:川島彩水)

「一番面白くない仕事」鉄筋結束を自動化するトモロボ

「トモロボ」は、建設現場において鉄筋の結束作業を自動化するロボットだ。「鉄筋コンクリート造」といった言葉は聞いたことがあるかもしれないが、通常、コンクリートで建物を建築する際は、細長い鉄の棒(鉄筋)をコンクリートに埋め込んで、引っ張り力に弱いコンクリートを補強する。鉄筋は床、柱、梁(はり)などに用いられるが、トモロボはその中でも床の鉄筋敷設時の結束作業に特化したロボットだ。

鉄筋を埋め込む手順は、まずコンクリートを流し込む型枠を組み立て、その中に鉄筋を縦横に交差させて網の目のように並べていく。並べるといっても、型枠の底面に置くのではなく、流し込むコンクリートの真ん中あたりにくるように、スペーサーと呼ばれる部材を使い底面から少し浮かせた状態で並べていく。

この鉄筋の網の目の交点は、半数以上を結束線と呼ばれるワイヤーで固定しなければならないことが、建築関連法規で定められている。結束作業は基本的に屋根がない状態で行うため、夏の炎天下や冬の寒風吹きすさぶ中で作業しなければならない。過酷な屋外の環境で、不安定な鉄筋の上を歩きながら、田植えをするときのような中腰の姿勢で大量の結束を行うのは、非常につらい作業だ。

建ロボテックの眞部氏がこの結束作業に着目してロボットを開発しようと考えた理由は明快で、「一番面白くない仕事だったから」。「延々と同じことをやる、終わりが見えない。大嫌いでした」と笑う眞部氏は、親から継いだ鉄筋工事会社の経営者であり、自身も現場で働いたことのある元鉄筋工の職人だ。

鉄筋をレール代わりに移動、交点を検知して自動で結束

トモロボは、3本の鉄筋をまたいで、それぞれの鉄筋をレールのようにして車輪を乗せ、自律走行する。交点を検知するのは磁気センサーだ。レーザーセンサーではなく磁気センサーを採用したのは、直射日光による誤作動を避けるため。

交点の上に移動すると一時停止し、それに合わせてトモロボの左右に取り付けたマックス製の鉄筋結束機「RB-440T」を降ろして交点をつかみ、自動で結束する。

鉄筋結束機が鉄筋の交点を挟み、斜めにワイヤーで結束する

ちなみに、マックスの鉄筋結束機の登場も、ロボット開発の1つの契機だったと眞部氏は話す。本来、人の手で行う鉄筋の結束は、簡単そうに見えて実は複雑だ。2本の鉄筋の交点をワイヤーでぐるりとくくり、ねじって締める。新人が現場の職長に怒られない程度のスピードで結束をできるようになるまでに、2カ月程度の練習が必要なほどだ。

ホチキスのメーカーとして知られるマックスが、結束を自動化する電動工具を最初に発売したのは2013年のこと。何十年もの間、まったく変わらなかった現場にとってブレイクスルーではあったが、初期のものは精度が低く結束ミスも多かった。しかし2017年に発売された新型機種は大幅に改良され、現場の要求に十分応えるレベルになった。眞部氏は、「これを使えばロボットができる」と確信したそうだ。

200mm間隔で並べた鉄筋で、結束機2台を取り付けたトモロボに作業させた場合、交点1カ所当たり2.7秒以下で結束できるという。すべての交点を結束する「全結束」のほか、交互に1つ置きに結束する「チドリ結束」や「2つ飛び結束」なども設定可能だ。

建設業界では現場の職人の高齢化が進むのと同時に、労働環境や待遇面の問題から若年層は建設業界を避けるようになっており、遠くない将来の2025年には35万人を超える労働力が不足するとの試算もある。

そんな中、建設現場の作業を、技術を使って省力化し、職人の単純労働の負担を減らし、より付加価値の高い仕事をできるようにしたい、若者にも魅力ある業界にしたいとの思いから、眞部氏はトモロボの開発に踏み切った。

鉄筋工事会社の社長がロボットを開発するに至った理由

実はもともと眞部氏は料理人だった。料理の専門学校を卒業した後、22歳まではレストランで働いていた。しかしその後、家の事情により継いだ鉄筋工事会社を経営することになった。

自身も現場に出て働く中で、建設業には省力化できる余地が大きいと感じ、そのための工法や部材を開発すべく、2013年にEMOという会社を立ち上げた。ちなみにEMOは表向き「Epoch Making Organization」の略ということになっているが、実は「エロい、まなべ、おもろい」の略だったと眞部氏は明かす。「なんかね、エロくておもろい開発がしたかったんですよ」。

とはいえ、当初はロボットを作るとは思いもしなかった。しかしやがて「細々した省力化では解決しない課題もある。やはりロボットが必要だ」との考えに至ったのが2016年頃のこと。それからは、トモロボの原型である鉄筋結束ロボットの企画書を作り、知り合いづてにファクトリーオートメーションの専門会社などを回った。しかし反応は、「屋外の自走型なんてウチにはできない」といったものばかりで、たらい回しにされていたと眞部氏は振り返る。

そんなある時、たまたま知り合った元総合電機メーカーの人物の口利きもあり、広島県福山市の設備機器メーカーであるサンエスとロボットを共同開発することになった。建ロボテックを設立したのは、サンエスとトモロボの試作を終えて、いよいよ量産するとなった段階の2019年10月のこと。その際に、サンエスの技術リーダーが建ロボテックに移籍し、現在も技術責任者を務めている。

建ロボテックのWebサイトより。左が取締役CTOの井上治久氏。共同開発をするうちに眞部氏の理念に共感し、サンエスから移籍した。

それにしても、建設業からロボット開発の世界へ飛び込もうと考える人はなかなかいないのではないか。そのことを眞部氏に尋ねると、「誰に話してもそう言われます」と言った後に、「料理って、実は科学なんですよ」と料理人時代のことを話し始めた。

「たんぱく質は温度が何度になったら固まるとか、殺菌には何度で何分とか。科学の要素がかなりあって、味も全部その足し算と引き算なんです。そういうことを頭の中で組み立てていやっていくのが料理の本質だと思っています」

レストランのオペレーションに関しても、同様にロジカルに考えるという料理の世界から建設業に足を踏み入れた眞部氏の目に、建設業界は「めちゃくちゃ無駄が多い」世界に映ったそうだ。畑違いの業界にいながら「ロボットを作ろう」と思えたのは、「おもろいことをしたい」という遊び心と、料理人時代に培われた科学的な思考がなせるわざだったのだろう。

最初に「販売価格は200万円」と決めて開発をスタート

「僕らの開発は、基本的に『引き算の開発』」と眞部氏は話す。

ロボットを建設現場で使うとなると、重量との戦いがある。現場ではすべて人が運ばなくてはならないからだ。床の上を運ぶだけなら押すなり引くなりすればよいが、上の階に持っていくなど上下の動きもある。そうなると1人からせいぜい2人で運べる程度の重量でなくては使えない。

さらに、建設現場は雨風にさらされることもあれば、真夏や真冬の気温の中でも問題なく動く耐環境性も求められる。また、現場の職人が使い方を理解し、手先の延長となる「道具」として手軽に扱えるシンプルさや、職人の手荒い扱いに耐える頑丈さも必要となる。

そういった要件を備えつつ、「ロボットが現場で使われ、職人と共に働く『シーン』を作ること」が、トモロボ1号機の開発コンセプトだと眞部氏は話す。現場の職人には口で説明するよりも、具体的に見せたほうが使ってもらえる確信があったからだ。ちなみにトモロボの名前は、この「職人と“共に”働くロボット」イメージに由来する。


トモロボの作業イメージ。人のいる環境でゆっくり動きながら黙々と作業する。

「最初に販売価格を200万円に決めました。仕様も何も決まっていない時に」

建設業界は利益率が低く、工事会社に許される投資金額は限られる。市場にフィットする価格感として導き出されたのが200万円という価格だった。加えて、ロボットの重量も人が運べる40kg未満に収めると決めた。

その後は、ロボットにやらせたいことをイメージして全部書き出し、優先順位を付けた。そして優先順位が低いものから消していき、本当にやりたいことだけに絞り込む。この段階からエンジニアにも検討に入ってもらい、「この機能の実現にはこういうセンサーが必要で、これくらいの価格になる」「それは高いので別のやり方で機能を実現できないか」といったやり取りをしながら、徹底的にそぎ落としていった。

「エンジニアって、自分たちの持つ技術や知見を生かした『すごいもの』を作りたいと思うんですよね。でもそんなのは全部無視しました。『これができます』『あれもできる』といわれても、不要なものは『要らない』といいました」

ちなみに、鉄筋は建物の床だけでなく柱や梁(はり)にも通すが、トモロボは「床」の鉄筋結束に特化している。どれもこれも対応しようとすれば、それだけ開発に時間がかかるからだ。交点が多いという意味では床が突出しているし、床だけでも自動化できれば工程全体の省力化インパクトは大きい。だから、まずは床に絞り、簡単なものを素早く開発しようという狙いだった。これも「引き算」の考え方だろう。

最初の試作機。(写真提供:建ロボテック)

人のあやふやな作業にロボットを対応させる難しさ

製品として出来上がったトモロボは、3本の鉄筋の上を6つの車輪を持って走るが、当初は2本の鉄筋の上を4輪で走らせようとしていた。そこに特段の考えはなく「走る車に自動結束機を持たせて上下させればいい」という程度の発想だったが、まずここが開発における難所だった。

「鉄筋って、少し宙に浮いていて、鉄の棒なので自重でたわむんです。そこへ、結束機を取り付けると40kgにも及ぶトモロボを乗せると、レールが不安定で脱線してしまう。また、鉄筋は人が並べているので間隔は一定でなく、2〜3cm程度の誤差がある。そこに対応するために、3列6輪になりました」

3列、つまり3本の鉄筋をレールとして使うことにより、鉄筋1本当たりの荷重が小さくなり、たわみを抑えられるようになった。また、3列だと中心を支点として「やじろべえ」の原理を利用した機構を組み込むことができた。これにより、ゆれはするものの、ロボットの姿勢が安定するようになった。姿勢の制御に関してはセンサー類を使わず、機械的に行っている。

試作品が一応の完成を見るまでに約1年かかったが、量産化へ踏み切った後も「引き算の開発」は続いた。眞部氏は量産化のフェーズを「一番面倒くさかった」と話す。その要因として、関連法規への対応や耐久テストなどが必要だったことが挙げられる。法規への対応は、例えばロボットの筐体が人にぶつからないようにワイヤー型のセンサーを設置する、リチウムイオン電池では飛行機で運べないためリン酸リチウム電池に置き換えるなど、その影響範囲の大小も含め多岐にわたる。

また、検討・試作段階でもある程度の「引き算」は済んでいたが、量産設計をする段階で、例えば専用に開発していたパーツを廉価な市販品に置き換えたり、それに合わせるために影響する部分を設計し直したりするなど、さらなる「引き算」が必要だった。また、職人が使いやすいユーザーインタフェースをデザインするために、香川大学の教授にも手伝ってもらった。結局、量産開発にも丸1年の月日を費やした。

上部のコントローラーは、職人にも分かりやすいシンプルなデザイン。前後の黒いワイヤーになにか触れると安全のため停止する。

製品が完成し、販売を開始した後にも問題は起きた。トモロボは直径10mm/13mm/16mmの3種類の鉄筋に対応できるとして販売していたが、実際の現場では16mmに対応できないケースがあることが分かったのだ。

「そこからはもう、売りながら改良しました」と眞部氏は苦笑いする。計算上は直径16mmの鉄筋にも対応できるはずだった。しかし、いざ現場に置いてみると、鉄筋が斜めに置かれて直交していなかったり、たわみのせいで縦の鉄筋と横の鉄筋の間に大きな隙間ができたりして、ワイヤーをきれいに結線できなかったのだ。

「人がやっている作業に対してロボットが途中参加するのは、すごく難しい。開発で何が難しかったかと聞かれたら、一番に『人のあやふやさに対応する、あやふやなロボットをつくること』だと答えます」

想定外であやふやな状態に対応するために何をしたのか。眞部氏の答えがまた面白い。

「ロボットを、どんどん“テキトー”にしていったんですよ」

つまり、細かい部分に“遊び”を作ったのだそうだ。具体的には、ビス留めをする箇所で、ビス穴をビスの直径より少し大きめにして、中で“遊ぶ”ようにゆるくする。それが、ロボット全体の“遊び”になるのだという。ロボットに遊びが無ければ仕事をしない、でも、遊びをつくり過ぎても駄目。「その“テキトー”の範囲を定めるのが大変だった」と眞部氏はトモロボの開発の過程を振り返った。

現場を知る者だけができる、現場のための技術開発を

発売当初は売り切りの販売モデルでスタートしたトモロボ。「ロボットをたくさん売ってお金持ちになるぞとしか思っていなかった」と冗談めかして話す眞部氏だが、今後は「ロボット派遣サービス」として工事会社の現場にトモロボをレンタルし、使用時間や結束回数などによる従量課金モデルへの転換を考えているのだという。

「売り切りのモデルだと、お客様のためにならないことが分かった。それが一番の理由です。これまでに10社がトモロボを買ってくれていますが、稼働率は10%程度。そもそも僕らは工事会社のため、現場の職人のためにロボットの開発をしたのに、ロボットへの出費が職人の給料を減らす理由になっては元も子もないですから」

現在は通信モジュールを開発中で、5月頃からトモロボをインターネットにつなぐ予定だ。これにより稼働状況を把握できるようにするほか、将来は遠隔操作も視野に入れている。

またプロダクトのラインアップも増やす予定だ。トモロボは、鉄筋の上を端から端まで走行した後、隣の鉄筋に移すには人の手が必要だ。建ロボテックでは現在、これを支援するスライダーという道具を出しているが、近くこれを自動化して、人の手をかけずに床一面の自動結束を可能にする。

ほかにも、現場で重い建材などを運ぶ「運搬トモロボ」の開発を進めており、トモロボシリーズとして順次開発・リリースしていく考えだ。

眞部氏は今後の展望について、「これまで価格や重量の制約のためにそぎ落としてきたものの中に、実は優先順位の高い機能もあった。それを順番に他のロボットとして出していく。今は一つ一つの作業をロボット化していますが、ゆくゆくはトモロボシリーズを通じて建設現場の工程全体を自動化していきたいと考えています」と話す。

数年後の未来、建設現場では職人と共にさまざまな個性を持つトモロボが働くシーンが見られるかもしれない。

2021年3月に東京ビッグサイトで開催された「建築・建材展2021(主催:日本経済新聞社)」に出展。多くの人が足を止めて眞部氏の話を聞いていた。

おじさんとかおばさんとか

The HEADLINEの「『価値観のアップデート』と進歩史観」の記事を読んで、「価値観のリバイス」という言い方は確かにいいな、実態に近いなと思った。

それとは別に、記事中に「おじさん批判は許される?」という問いがあり、それを見て思い出したのが、村上龍さんのエッセイシリーズ『すべての男は消耗品である』である。

1987〜91年までTBS系列で放送された「Ryu’s Bar 気ままにいい夜」というテレビ番組があった。村上龍さんがホストとしてゲストを迎え、ぼそぼそとしゃべるトーク番組だ。とある回で桂三枝さんがゲストとして出演した後日、『すべての男は消耗品である』の中で桂三枝さんのことを「心がおばさんだ」と評していて、印象に残っていた。

手元の『すべての男は消耗品である。VOL.1~VOL.13: 1984年8月~2013年9月 連載30周年記念・完全版』で探してみたところ、1988年の「F1を讃美しない男は心がおばさんだ。」にその記述があった。

この前、テレビの『Ryu’s Bar』で桂三枝に、「F1 のどこが面白 いんでっか?」と聞かれた。
で、オレは「とにかく、速くて、音がすごい」と答えた。
すると、桂三枝師匠は、
「だったら、新幹線のガード下におったらよろしいがな」
と言ったのだった。
オレは言葉を失った。
速いものは、みな美しいのである。
それを理解しない男とは、付き合いたくない。

とまあ、名指しで散々な言いようだ。その次の回の「強迫神経症的な、おばさんの定義。」では、タイトルの通りおばさんが定義されていた。

日本は、どうして、おばさん的なものの考え方が、力を持つようになったのだろう。
そもそもおばさんとは何か?
(やれやれ)
おばさんは、安定している。
おばさんは、安住している。
おばさんは、安定化を図る。
おばさんは、他人に頼る。
おばさんは、平均化を好む。
おばさんは、他人の目を気にする。
おばさんは、自己主張をしない。
おばさんは、不労所得が大好きだ。
おばさんには、信念がない。
おばさんは、他人のオルガスムを嫌う。
おばさんは、無限に自分に偽ることができる。
おばさんは、自分を知らない。
おばさんは、必然的に、打算的だ。
おばさんは、オシャレができない。
おばさんには、勇気がないが、持続力はある。
おばさんは、自立していない。
おばさんは、そのことに気付いていない。
おばさんは、他人の自立を邪魔しようとする。
おばさんは、いつでもどこでも大声で喋る。
おばさんは、足が遅い。
おばさんは、何でも、遅い。
おばさんは、行列が好きだ……
当然のことだが、おばさんは、年齢や性別には関係がない。
男のおばさんが増えているのである。
民社党は、おばさんだ。
映画や料理評論家はおばさんだ。
今の日本の詩人はおばさんだ。
だいたい、顔でわかる。

NewsPicksの「さよなら、おっさん。」も同様で、年齢や性別のことじゃないとはいうものの、その言葉が特定の年齢層や性別を指している以上、だったら別の言葉を使ったほうが誤解がないし、よいのでは?とは思う。

それはさておき、かつては「オバタリアン」などという漫画もあったように「おばさん」が揶揄される対象だったのが、最近は「働かないおじさん」「子供部屋おじさん」「キモくて金のないおっさん」などといってもっぱら「おじさん」が揶揄されるようになってきたのには、どういう社会環境の変化が影響しているのか気になるところだ。